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根源的恐怖が、あなたにへばりつく――『へレディタリー/継承』

どうも、とりふぁです。

突然ですが、皆さんが、一番怖いと思うことはなんですか?

ゾンビが怖いとか、幽霊が怖いとか、そういうフィクショナルなものではなくて、ピエロが怖いとか、高いところが怖いとか、そういう恐怖症的なものでもなくて、普段の生活の中で日常的「怖いなぁ」というか、「嫌だなぁ」と思っている、そういう、根源的な怖いものです。

もしかしたらそれは、きちんと言語化できていないというか、自分でも漠然としてしか自覚していないものかもしれません。

私にとってのそういう恐怖の源は……今回ご紹介する作品で描かれているものなのです……。

と、いうわけで、今回はアリ・アスター監督による暗黒ホラーファミリー映画『へレディタリー/継承』です。

今回も直接的なネタバレは避けてレビューしますが、本作の恐怖の本質については触れておこうと考えていますし、それに、個人的に本作は、「何も知らずに観る」というのが一番いい鑑賞方法である類の作品だと思いますので、もしまだ未見の方で、絶対に何も知らずに観たいという方は、ぜひ、本編観賞後にまたいらしてもらえればと思います。

また、逆にすでにご覧になった方で、もし、「いや、別に怖くなかったけど……」と思った方も、今回のレビューを読んで頂くと、もしかしたら「ああ、そういう怖さだったのね!!」と気付いてもらえるかもしれません。

では、いってみましょう!

 


『へレディタリー/継承』のあらすじ

ある日、エレンという一人の女性がこの世を去った。

彼女の娘であり、ミニチュアで様々な場面を作るアーティストでもあるアニーは、彼女の葬儀を粛々とこなす。

なんの変哲もない一人の女性の、なんの変哲もない、ただの葬儀。

しかし、その葬儀を境に、アニーとアニーの家族の間に、奇妙な、そして強力な不協和音が鳴り始めるのであった——。

「——————コッ」

 

 

 

 
レビュー

新進気鋭の強烈なるホラー作家、アリ・アスター

本作にて脚本・監督を手掛けたのは、現在34歳という、非常に若い新進気鋭の監督アリ・アスターです。

彼は、幼少の頃より映画、特にホラー映画を好んで観ており、街のビデオ屋にあったホラー映画は片っ端から観てしまったという逸話を持っているほどのホラー映画マニアです。

そんな彼は、ある時から、自分でもホラー映画を作ってみたいと考え始め、まずは脚本を書き上げ、そして、次に7本の短編映画を作りと、着実に実績を重ね上げていきました。

そして、満を持して世に送り出された初の長編が本作、『へレディタリー/継承』です。

本作は、サンダンス映画祭を皮切りに、各所で絶賛の嵐を巻き起こし、長編1作目ながら、【21世紀最高のホラー映画】と呼ばれるまでの圧倒的な評価を受けます。

さらに彼は、その後、長編2作目である『ミッドサマー』においても各所からの大絶賛を浴び、一躍、時の人となりました

 

正直なところ、ここ10年以上、あまりパッとしなかったホラー映画界(※)において、彼の送り出した2作は、質、集客、評価ともに、まさに会心の一撃ともいえる作品だったため、この評価はさもありなんといったところですし、今後の活躍が楽しみな監督の一人であることは間違いないでしょう。

しかも彼は、どうやら、自身の身に起こった出来事をヒントとして作品に昇華するタイプらしく、そういった意味でも、リアルタイムで追いかけるべき監督と言えるのではないでしょうか。

 


※個人的に、ここ10年くらいのホラー映画界は、アイディアがキラリと光る作品や、名作のリメイク作、社会風刺とエンタメ性の両立をしたものなど、面白い作品はいくつもありましたが、しかし、それでも純ホラー映画にはあまり恵まれていなかったかなと思っていました。

 


ニューロティックスリラー風味の家庭崩壊物語

さて、そんな監督が手掛けた本作ですが、その内容は、ある一つの家庭がボロボロと壊れていく過程を描いたものとなっています。

しかも、主軸として物語を語る人物たるアニーは、夢遊病を患っている、精神的に不安定な人物ということで、彼女の語る言葉や、彼女が体験する様々な出来事をどこまで信用していいのか、鑑賞者たる我々にも確信が持てず、宙ぶらりんな状態で物語を観ざるを得ないのです。

つまりは、信用できない語り手モノというか、ニューロティックスリラーのような形で進むわけです。

しかも、本作はそれだけに留まらず、鑑賞者側が、「ってことは、この後はこうなるのかな……?」というような予想や想像を割と序盤からバシバシ裏切ってくるため、物語全体がどこに向かっているのかすらも一向に分からないまま、終盤までぼんやりと進んでいくことになります。

それゆえのイヤァな不安感が、最初から最後までついて回る

例えるなら、夜道を一人で歩いている時に、誰かがずっとついてきているような気がするあの感じが物語全編を支配しているような感じと言えば分かりやすいでしょうか……?

 


いわゆる【ホラー】の恐怖ではない

ちなみに本作、先の項でも書いた通り「21世紀最高のホラー」という評価や、あるいは、「最も怖いホラー映画」というような評価を各所で見かけると思うのですが、おそらく、人によっては「そんなに怖くなかったよ……?」と思う人も多いかと思いますし、ショック描写も必要最低限かつ、そこまでぶっ飛んだものでもありません。そういった意味で言えば、ホラー映画初心者でも全然観られるレベルのホラーだと思います(事実、私はホラー映画が苦手な妻と一緒に本作を観たのですが、妻でも余裕で観ていられましたし、なんなら、途中で寝落ちしてました笑)。

しかし、それでもなお、私は本作に対する評価の一つである「最も恐ろしいホラー映画」という評価には、嘘偽りがないものだと思います。

というのも、本作の恐ろしさは、多くの方が【ホラー】と聞いて想像するような、【びっくりした】とか【ゾッとした】というような、そういう【表面的な恐怖】ではないからです。

では、本作の恐怖とは何か。

それは、大きく二つあると私は思います。

ひとつは、巧みな作劇による【作品としての恐怖】。そしてもう一つは、【私達の日常の中に否応なく、それでいて、常に付き纏う恐怖】です。

順番に語っていきましょう。

 


完璧な脚本と演出による、理解することが恐ろしいことと言う恐怖

本作は、先にも書いた通り、徹頭徹尾【物語がどこへ向かっているのかが分からない状態】で物語が展開していきます。

しかし、それは、本作のラストのラスト、最後の1〜2分程度のシーンで「そういう話だったのか……!!」という衝撃と共に、完全に覆ります

そして、そのラストを知ると、遡って、今まで不可解に見えた全てのシーン、全ての描写が、ある一つの明確な着地に向けて、綿密に、それでいて極めて一直線に繋がっていたということが分かります

すなわち、理解できない宙ぶらりんのまま見せられていた物語の意味を、一瞬にして理解させられるのです。

そして、理解したが最後、「なんて恐ろしい話なんだ……!」という感慨が、じわりじわりと鑑賞者を蝕みます。

そう、本作の真の恐怖は、観終わってからようやく始まるのです。

私の持論として、【謎が解けた時が最も恐ろしいホラー映画は傑作】というものがあるのですが、その持論から言っても、本作はまさに完璧……というか、ここまで綺麗に【謎の解決が恐怖の始まりになる】というか、【謎の解決によって恐怖が明らかになる】という離れ業をやってみせた作品を他に知りません(最も、私自身はホラー映画弱者なのですが汗)。

しかも、そこで明らかになった恐怖は、私達の現実、日常とは切っても切り離せない恐怖なのです。

 


私達の日常に常に付き纏う、根源的恐怖

ここで、冒頭で少し触れた私自身の恐怖の源について触れておこうと思うのですが、私にとってのそれは、【何かを勘違いされること】もっと言えば、【その勘違いを訂正する機会を得られないこと】です。

というのも、【勘違い】というものはなかなかに根が深く、一度勘違いされてしまうと、【訂正することで、かえってより印象を強化してしまう】おそれがついて回るんですよね。

例えば、ただ仲の良い異性の友達と歩いていただけで、「あの二人、付き合ってるんだってよ」という噂が広まるというような、学生時代にありがちな場面を思い浮かべてもらうと分かりやすいと思うのですが、それを当人達がいくら否定しようとも、それは寧ろ照れ隠ししているというように取られたりして、余計にややこしいことになったりします

あるいは、たまたま間が悪く、誰かとの約束を連続して守れなかった場合なんかもそうです。こちらにはこちらのやむにやまれぬ事情があったとしても、相手がそれをすんなりと受け入れてくれるばかりではありませんし、時には、表面上、「全然気にしないで」という態度を取りつつ、でも、もう誘われることはないなんて経験、人生で一度や二度くらいは誰にでもあるのではないでしょうか?

そんな風に、【勘違いされて、勝手な印象で固定されてしまう】ことを、私は何よりも嫌い、恐れているのです。

なぜそれを恐れるかと言えば、そうした【固定された印象】は、ほとんどの場合、もう二度と覆ることがない、つまりは、【自分自身にはもうどうすることもできない】ことになってしまうからです。

それが好印象であればいいのですが、悪い印象だったりすると……

少し話はズレますが、本作の感想、特に私の恐怖の源について妻と話していた時に言われた一言が印象的だったので、それも合わせて書いておきます。

それは、「自分でコントロールできない状態が苦手なんじゃない? 車でスピード出すのは怖くないのに、ジェットコースターは怖がるよね」というものです。

これを言われてハッとしました。

確かに私は、自分でコントロールできない状態、というか、自分以外の何かにコントロールされている状態にとてもストレスを感じるのです。

車とジェットコースターの例もそうですが、他にも、例えば仕事においても、自分の裁量と判断でできる仕事はいくらでもできますし、やる気も湧くのですが、そこに1mmでも人の判断や裁量が加わってくると、かなり仕事がし辛くなりますし、さらには、その仕事の責任が自分以外のところにあろうものなら、もうダメです。

そんな大袈裟な、と思うかもしれませんが、こればかりはどうしようもありません。

なので、そうですね、書きながら分かってきましたが、どうやら私の恐怖の源は、【勘違いされること】というよりも、(印象であろうが、仕事であろうが)【自分以外の何かにコントロールされること】かもしれません。

しかし、そんな【自分以外の何かにコントロールされること】なんていうのは、日常生活のどこにでも、どの場面にもあることですし、もっと言えば、生まれ、生きている今このの瞬間すら、元を辿れば【親の都合】によって生まれてきたに過ぎませんから、これはもう逃れようのない恐怖なんですよね。

さて、かなり脱線しましたし、前振りとしては長過ぎますが、しかし、本作で描かれている恐怖は、ここで書いたような、日常に常に付き纏う恐怖であり、そして、本作を観ることで、その恐怖について漠然とした思いしかなかったものが、ものの見事に【固定】されてしまいます

ああ、私はこれを恐れていた……! と。

つまり、本作で描かれている恐怖は、本作観賞後も、いえ、もっと言えば、本作を鑑賞しなくとも、常に存在している恐怖なのであり、そして、本作はそんな恐怖を「こういう恐怖もあるんだよ」と提示し、そして定義してみせるものなのです。

ホラー描写の怖さ、残虐描写の怖さではないもっと根源的な恐怖を描いている

だからこそ、本作は「最も恐ろしいホラー」と呼ばれているのだと私は思います。

 


まとめ

ということで、『へレディタリー/継承』のご紹介でした。

あまりの完成度の高さと、描き出される恐怖のただごとではなさに、ホラー映画弱者の私ですら、完全にやられてしまいました……。

正直、宙ぶらりんな状態のまま進む作品かつ、劇的なことは必要最小限に抑えられているので、本作を観て「退屈だ」とか「思ってたのと違う」という方がいてもしょうがないこととは思います。

しかしながら、私は、本作を観たことで、遡って、私自身の恐怖の源に気付くことができました

それゆえ、私の中での本作は、生涯ベストホラーの一作として残っていくことは間違いないかと思います(しかも、見ようによってはハッピーエンドとも言える味わいなのがまた秀逸なのですよ……!)。

とにもかくにも、新進気鋭の天才映画監督、アリ・アスター監督、恐るべし!!

『ミッドサマー』も早く観なきゃ!!!!

 


※今回ご紹介した、『へレディタリー/継承』は、2021/4/7現在、Amazonプライムビデオにて、無料配信中です。

 

 

 


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