映画経験と『プロディッジー』
日常的に映画を観る習慣があると、ある一本を観てしまったがゆえに、その後、鑑賞する映画の展開が読めてしまったり、あるいは、作品に対するハードルが上がってしまったりっていうこと、あると思います。
例えば、『アイデンティティ』、『シャッターアイランド』、『ファイト・クラブ』(は少し違うかな?)みたいな。
このうちの二本でも観ていれば、「そういうことね」と、わかってもらえると思います。
ちなみに、この三本は、いずれ劣らぬ傑作ぞろいです。
しかしながら、【どれを最初に観たか】で、他の作品への評価に、少なからず影響を及ぼしてしまうと思うのです。
詳しくは言及しませんが、もし、このうちの作品を観たことがない。あるいは、一本しか観ていないなどで、「どういう意味だろう?」と気になった方は、是非、この三本を観てみて下さい。
とにもかくにも、今回は、そんな観る人の映画経験によって大きく評価が左右されそうな作品、『THE PRODIGY /プロディッジー』のご紹介です。
『THE PRODIGY/プロディッジー』のあらすじ
やっと生まれた我が子が、殺人鬼の生まれ変わりだった!
「僕が何をしても、ずっと愛していてくれる?」
レビュー(やんわりとネタバレ有り)
それ、最初に見せちゃうんだ……
私の人生史上、最も簡潔なあらすじを書いてしまいました……。なにせ、これ以上、書くことがないんですもん(汗)
要するに、「この子、なんかおかしいんですけど」系映画です。
で、こういう映画って、大体は【なぜ、この子はおかしいのか】って言うところを、サスペンス要素として物語を転がしていくと思うんです。
しかし、本作は違う。もう最初からネタバレ。最初からクライマックスです。
で、その結果、どういうことになるかと言うと……何も予想外なことが起きない映画の出来上がりです(こういう作りの映画は、余程気を付けて作らないと、序盤が一番の盛り上がりで、その後はドンドン尻つぼみということになりかねません)。
見どころがない
いえね、別にそれは良いと思うんですよ。先の展開が全部読めたとしても、演出や演技など、物語以外の魅力で飽きさせない作品はたくさんあります。
でも、本作はそこが弱い。
演技は悪くないんですが、良くも悪くも普通です。観てて苦痛ってことはありません。
ただ、演出については、平凡かつ、音楽と音の演出に頼り過ぎていて、途中から食傷気味になります(これをやられてしまうと、サスペンスやホラーは一気にキツくなります。無音こそ最大の恐怖です)。
しかも、多過ぎる音楽や音の演出に対して、起きていることが、大したことないのです。
あ、でも、射殺された殺人鬼の銃創と、生まれてきた赤ちゃんについている血液の位置が同じなのは、結構好みな演出でしたね。
必然性のないもろもろ
第一、恐怖の対象でなければならない、おかしな子供が、「君、本当に元殺人鬼?」と言いたくなるほど、しょぼいことしかしない。
やっと動き出したかと思えば、ベビーシッターを怪我させたり、犬を殺したりという、映画的に見ればタチの悪いいたずらレベルですし、何より、それをするキャラクター的必然性も、物語的必然性もありません。
ベビーシッターが怪我をすることや、犬を殺すことで、特に子供にメリットがないんです。のみならず、その後の展開に何か重大な影響を及ぼすということもありません。
強いて言えば、「この子怖いわねぇ」という、ただそれだけなんです。
演出のための演出。展開のための展開。
それを面白がれと言われても、正直、キツイです。
また、生前の殺人鬼の【女性の手を集めている】という吉良吉影(『ジョジョの奇妙な冒険-ダイヤモンドは砕けない-』のキャラクター。連続猟奇殺人鬼で、被害者女性の手を切り取って持ち歩く)ライクな特殊性癖も全く活かされません。
「ねぇねぇ、本当にその設定いる?」って言いたくなります。
必然性のない設定です。
「こういう設定あったら怖くね?」くらいのノリで入れて持て余したとしか思えません。
持て余すくらいなら、ばっさりカットすべきです。なぜなら、創作物、中でも特に、物語というものは、全てを作者がコントロールできる、必然性の芸術だからです。
それを表す作劇のルールの一つに、【チェーホフの銃】というものがあります。それは、よく、「物語に登場した銃は、必ず撃たれなければならない」というようなたとえ話で表現されるのですが、要するに、物語の中に盛り込まれたものは、全て活かされなければならないということなのです。
まして、ホラーやサスペンスは、派手なことがなかなかできない分、こういった細やかな部分での恐怖表現が非常に大事です。必然性があるから怖いのです。あるいは、その中に混ざる偶然性が怖いのです。
このルールが守られていないということは、すなわち、プロット(物語の設計図)の時点で既に失敗しているということに他なりません。
本作は、そういうレベルの作品ということです。
オチは……?
前章で書いた通り、初めから負け戦が決まっていたような本作ですが、しかし、まだ起死回生の一手は残っています。
それは、オチです。
そこまでに至るもろもろがいかにダメでも、オチに工夫があれば「一本取られた!!」と、遡ってそれまでの汚点を帳消しにできることが、ごく稀にあります。
しかし、この映画はそれすらもできていません。
一応、ぼかして書きますが、「問題解決の条件がそれなら、主人公がとる行動はあれしかないし、そうなれば、オチはこうなるしかない」という、まんまのことが起きます。
要するに、この映画は、サスペンス映画には特に肝心なオチですら、鑑賞者の想像の域をこれっぽっちも超えてくれないのです。
映画としてのルックはそれなりなので、最後までなんとか観きれましたが、個人的には非常に退屈な映画でした。
でもそれは、私の映画経験の問題でもあるのです。
映画経験と作品への評価
映画経験とは、読んで字のごとく、それまでに積んできた映画の経験と、それに対する知識のことです。
要するに、それまでにどんな映画を味わってきたか、ということですね。
私の場合は、幼少の頃、それこそ、幼稚園の頃から様々な映画と積極的に親しんできたため、同年代の中では比較的、映画経験を積んでいる方だと思います。
自分の披露宴の二次会で、常識レベルと思って作った映画クイズで、ほぼ誰も正解できなかったという苦い経験もあります。
案外、私ほど映画と親しんできた同年代って、いないもんなんだなと、改めて思い知りました。(「ファッキンジャップくらい分かるよ、バカヤロー」が何のセリフか、ノーヒントでは誰も当てられないとか、マジか?!)
そんな私なので、当然、前書きで書いた三本も、『エスター』も観ています(『オーメン』は未見です。どうにもアクション映画以外のクラシックになかなか手を出せなくて……いつかは観たいんですけどね)。
そんな人にとって『プロディッジー』は観る必要のない映画です(映画好きなら、この感覚分かってくれると思います。観る前にわかってるアレです。掘り出し物もあったりしますが)。
ですが、これは、私が本作以前に、本作以上の良作、傑作を観てしまっているから。
そんなもの知らない人からすれば、『プロディッジー』は十分に面白いのです。
なにせ、こういう展開やオチがあり得るということを知らないわけですから。知らないで観れば、それは、十分面白い。
事実、比較的、映画に疎いうちの嫁さんは、けっこう気に入っていました。
というか、嫁さんの勧めがなければ、脳内の「観る必要のない映画フォルダ」に突っ込んでサヨウナラな作品でした。
ですが、今回は時間が余っていたことと、嫁さんの勧めがあったことで「掘り出し物の方だったりするのかな?」と、観てみました。
結果は御覧の通りの惨敗でしたが、でも、嫁さんの感じ方と自分の感じ方を比べることで、【それまでの映画経験が、作品評価に影響する】という、ある種、当たり前のことを深く考える、いいきっかけになりました。
何度も言うように、私にとっては駄作、甘く観ても凡作レベルではありますが、それはあくまでも私の評価。
もしかしたら、あなたには刺さる作品かもしれませんよ?
結局、映画というのは、突き詰めていけば、どこまでいっても個人的なものですから。
あ、でも、個人的には本作を観るくらいなら、『アイデンティティ』と『エスター』の方がオススメです!(台無し!!!!)