命を賭して悪虐を斬れ『十三人の刺客』(三池崇史版)
どうも、とりふぁです。
今回ご紹介するのは、古典的名作時代劇を三池崇史監督にがリメイクした『十三人の刺客』です。
個人的印象として、古典をリメイクした作品は、とんでもない傑作か、とんでもない駄作かの二択な気がしていて、なおかつ、邦画においては駄作率が高いと思っています。
しかしながら、今回ご紹介する『十三人の刺客』は、三池崇史監督の計算により、様々な歯車がカチッと噛み合い奇跡的な傑作に仕上がっていましたよ!
では、ご紹介です!!
(新年あけましておめでとうございます! 新年一発目の記事ですが、内容自体は12月に書いてあったので、新年の挨拶や抱負などは次の記事に書きます……!)
↑配信等ではなかなかお目にかかれない作品なので、ソフト版必携です
『十三人の刺客』のあらすじ
弘化元年のある日、老中土井大炊頭の屋敷前で、明石藩江戸家老間宮図書が一枚の嘆願書を残し、切腹するという事件が起きる。
嘆願書に書かれていたのは、悪虐非道の限りを尽くす明石藩主、松平斉韶を諫め、告発する内容だった。
斉韶は、気の向くままに、誰彼構わず女を犯し、目についた者は、女子供だろうと鏖殺し、周囲の者からしても何を考えているかが一切分からぬ、まさに悪鬼羅刹の如き男だった。
間宮が己の命を賭けた嘆願書を受け、大炊頭をはじめとする幕閣内で斉韶の処遇をどうするかの話し合いが行われたが、しかし、結局は将軍の鶴の一声により、斉韶はお咎めなしとなってしまう。
というのも、斉韶は将軍に大層気に入られており、来春、老中就任が内定していたのである。
斉韶が老中となり、国の政に関わるとなれば、国が荒れ、民の生活、あるいは、命までもが脅かされることは必然。
そこで土井は、国と民の未来のため、斉韶暗殺を決定する。
その実行役として白羽の矢が立ったのは、島田新左衛門という御目付役の男。
相手は次期老中。
成功しても失敗しても、どのみち島田に命はない。
しかし、だからこそ彼は、まさに決死の覚悟で悪虐を討つことを誓い、信頼のおける仲間を集めるのだった——。
「手前達の命、今からこの新左が使い捨てる」
レビュー
侍の生き様vs侍の生き様、侍そのものを問う対決
本作は、悪虐非道の限りを尽くす暴君を、正義の名の下に斬り捨てるという物語ですが、しかし、その実、行われているのは、侍の生き様を貫こうとする二人の男の知力を尽くした頭脳戦です。
というのも、主人公の新左は【未来のため、民のために忠を尽くす】という侍の生き様を貫こうとするのに対し、その行手を阻むのは、【どんな暴君であろうとも、主に忠を尽くす】という侍の生き様を貫こうとする男、鬼頭半兵衛だからです。
この二人の生き様、侍としての思想は、どちらかが正しく、どちらかが間違っているというものでも、どちらかが上というものでもありません。
どちらも等しく正しく、等しく誇るべき侍の生き様なのです。
だからこそ、新座と鬼頭はお互いを認め合いつつも、壮絶な戦いの中に身を置かざるを得なくなるわけです。
しかし、その侍の生き様というのは、現代の我々からすれば、非常にグロテスクにも映ります。
なぜなら、新左の生き様は【正しきことのために死ぬ】という側面を持ち、対する鬼頭の生き様は【悪しき者のために命を賭ける】という側面を持っているからです。
つまり、新左は【己の命を勘定に入れていない】というグロテスクさを抱えており、鬼頭は【自分の心情を勘定に入れていない】というグロテスクさを持っています。
そう、二人が貫こうとする生き様は、【自分以外の者に向けられている】のです。
滅私奉公という言葉がありますが、これは、読んで字の如く【己を滅して公に奉ずる】ことを表す言葉であり、そして、その究極の形が、この二人の侍の生き様であり、そしてそれは、今の日本からは良くも悪くも失われつつある思想でしょう。
そして、だからこそ、この二人の戦いは非常にドラマチックで、観る者の心を打つのです。
さらに、二人の戦いの中心にいる暴君・斉韶は、そんな【侍という生き様】を試すかの如き言動や行動をして、二人を泥沼の混沌へと導いていきます(それはさながら、二人の男の掲げる正義というもののグロテスクさ説き、二人を試して世を混乱に叩き落す『ダークナイト』のジョーカー的立ち位置とも言えるかもしれません)。
個人的には、このような思想ゆえの対立、あるいは、立場ゆえの対立というものこそが、時代劇の最大の見どころだと考えています。
その意味でも、【侍という生き様の真ん中にある美しさとグロテスクさ】をメインテーマとして描き切った本作は、傑作といえるでしょう。
そのようなメインテーマだと考えた上で、最後に生き残った者が誰だったかを考えると、また面白いところですね。
三池崇史の計算高さが光る題材選び
物語以外のところで「なるほど」と思わされたのは、三池崇史監督が、時代劇を撮る題材として、『十三人の刺客』を選んだということ自体のクレバーさです。
というのも、実は2000年代以降、CG技術の発展(俳優に怪我をさせないよう、昔ながらの殺陣ではなく、CGで描き足すアクションが主流になってしまったため。近年は、そのより戻しからか、リアルアクションに力を入れる作品も増えてはきています)と時代劇の衰退とのダブルパンチを受け、時代劇の要とも言える殺陣のノウハウがほぼ失われてしまっているのです。
そんな最中の2010年に大作時代劇を作るとなった時に、『十三人の刺客』をリメイクするというのは、非常に計算高い作品選びだと思います。
なぜなら、本作は、江戸時代もしばらくしてからが舞台となっており、つまりは【実戦経験のない侍同士の戦い】が描かれているからです(このことは、作中でも言及されていますね)。
そのため、殺陣の技術が衰退し、侍らしい戦いを表現できなくなった今の日本映画界でも、いえ、だからこそ、説得力のある侍同士の殺し合いが表現できたわけです。
また、そんな中に、殺陣のできる最後の世代の一人、松方弘樹がいることで、松方さんの華麗な殺陣の美しさと迫力がむしろ映えるというのも、見どころとなっています。
役所広司、市村正親、山田孝之、古田新太、伊勢谷友介、窪田正孝、高岡蒼甫、沢村一樹、稲垣吾郎という、まさにオールスターキャストかつ、アクションが得意な人を集めた中でも、ダントツで松方さんがカッコいいというのが、本作の凄みに拍車をかけていますね。
しかし、同時に、このレベルの殺陣を出来る人材が今後出てこないであろうことを考えると、寂しい気持ちにもなりますね……(だからこそ、日本古来の戦の技を現代に甦らせた稲川義貴さんに師事する坂口拓さんの躍進に期待してしまうのですが!※)
また、『十三人の刺客』という大きすぎる題材を選ぶことで、スポンサーからのいらぬ要請により、ストーリーを大幅に変えさせられることもないと踏んだのではないでしょうか。
↑リメイク元になったオリジナル版です(ここまで書いておいて、私は未見です(;´・ω・))
事実、三池崇史監督自身、本作は売れ専ばかり作る邦画界に一石を投じるという意気込みを持って作ったらしいのですが、その狙いは見事に成功していると言えるでしょう。
もっとも、三池崇史監督らしい、悪趣味で露悪的な遊びもいくつか入っていますが……(笑)
※坂口拓さんについては、『狂武蔵』の記事で触れています。次回作は零距離戦闘術によるミリタリー路線の『RE:BORN』(こちらは、『2010年代のオススメ邦画一挙紹介』の記事で触れています)の続編、または前日譚だとは思いますが、その後、侍映画を撮るとのことですので、今から楽しみです。
まとめ
ということで、『十三人の刺客』のご紹介でした。
2010年代に、これほどまでの時代劇の傑作が生まれたと言うこと自体が奇跡とも言えるような作品で、本当、全編に渡って、三池崇史監督の本気の凄みが溢れています。
時代劇が好きな方はもちろんですが、今の目で見ると、非常に豪華かつキャッチーな俳優陣が揃っているので、時代劇に興味のない方でも楽しめる一作かなと思います。
世界の黒澤作品に並び立つ、傑作純エンタメ時代劇と言っても過言ではない作品ですので、未見の方はぜひ!!!
本年もお世話になる最強の映画メディア、『MIHOシネマ』さんでは、リメイク元の1963年版『十三人の刺客』についての記事がありますので、あわせてご覧ください!↓