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細田守堂々の最高傑作『竜とそばかすの姫』

どうも、とりふぁです。

ある程度映画が好きになってくると、自分の好きな監督や脚本家が分かってきて、その方達が手がけた作品を選んで観るようになると思いますし、それが、運良く同時代に生きている方なら、リアルタイムでずっと追いかけるなんて人もいると思います。

私にとって、そうした、人生をかけて追う監督の一人が、細田守監督です。

ある時期を境に賛否両論分かれる監督になりましたし、賛否の否の意見もすごくよく納得できるところではあるのですが、しかし、私にとっては、それすらも超えて惚れてしまった、大好きな監督の一人なのです。

なぜ好きなのかとか、なぜ賛否が分かれるのかなんていう話は、以前、未来のミライについて語った記事である程度触れているので、そちらを読んでいただきたいのですが、なぜ好きなのかを端的に書いておくと、なんとなくではあるんですが、【世界の捉え方や、世界に対する向き合い方】だったり、【何を伝えていきたいのか】が、すごく私と近しい気がするんですよね。

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つまるところ、作品の根底にあるものに惚れてしまっているので、多少の、あるいは、大きな傷が作品についていたとしても、それでも大好きになってしまうのです。

今回は、そんな細田守監督の最新作にして集大成『竜とそばかすの姫』のご紹介です。

はっきり言って、細田監督、ネクストレベルに突入しました……!

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『竜とそばかすの姫』のあらすじ

高知県の自然あふれる田舎に住む内藤鈴は、歌うことと歌を作ることが大好きな幼少期を過ごしていた。

しかし、ある日、彼女に歌の素晴らしさを教えてくれた大好きな母が、他人の子供を救うために、鈴の目の前で命を投げ出してしまったことにより、彼女は心に大きな傷を受け、歌うことも、周囲と向き合うことも出来なくなってしまう。

そんな彼女も既に高校生となり、何人かの友人も出来てしばらくした頃、親友のヒロちゃんに誘われ、ネット上の仮想現実、【U】の世界へと足を踏み入れる。

そこは、人の秘められた能力を解放する場所であり、そして彼女は、ようやく【歌】を取り戻すのだが——。

「歌よ導いて——!」

 

 

 


レビュー

女子高生×ネット空間×獣人=細田監督の集大成

本作は、細田監督の作品を追ってきた人間からすれば、かなり分かりやすく、初期作品の要素を集めた集大成的作品であることに気付くことができます。

まず、主人公が女子高生であるという点は時をかける少女を連想せざるを得ませんし、物語の舞台がネット空間と田舎であるという点は、デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』や、そのセルフリメイク作であるサマーウォーズとリンクします(※)。そして、本作のキーになるキャラクター、竜は、監督お得意のモチーフである獣人であり、これはおおかみこどもの雨と雪『バケモノの子』をはじめとし、細田監督作のほぼ全てに、何らかの形で登場しています。

 

 

その他にも、劇中歌『U』で印象的な「時は誰も待ってくれないの」という歌詞は『時をかける少女』のキーワード「Time waits for no one 」を和訳したものと考えて間違いはないでしょうし、たった一人で何かに立ち向かおうとする主人公を、周りの人々、それも不特定多数の人々までもが支えるという展開も、細田監督作お決まりの展開です。

このように、分かりやすく集大成的な本作は、おそらく、細田監督的にも、一つの区切りと考えているのではないでしょうか?

もっと言えば、「ここからが私の新しいステップです」と表明しているような、そんな印象を私は受けました。

事実として、本作は、今までの細田監督作とはまた違った制作体制で作られているのです。

それはどういうことかというと、本作は、スタジオ地図をはじめとする、日本のアニメクリエイター達が集結して作っているのはもちろん、なんと、ネットで繋がった海外のクリエイターまでもが参加して作られており、特に【U】でのビジュアルは、今までの細田作品とは少しテイストが違う、それでいて、さらに一段も二段もクオリティの上がった、とんでもない情報量と絶句するほどの美しさとを両立した超絶美麗空間と化しています。

これはひとえに、本作で参加した海外のクリエイターのセンスが取り入れられた結果でしょうし、恐らく、今後の作品は、同じように世界中からクリエイターを募って作っていくことになるのだと思います。

だから本作は、後々、これまでの細田監督の集大成であり、そして同時に、これからの細田監督の処女作と言える作品になっていくのではないでしょうか?

そしてそれは、単なる思いつきや偶然でそうなったわけではありません。

これは、未来のミライ』がカンヌ国際映画祭で評価されたことに端を発しています。

未来のミライ』は、なんとも不思議なバランスの作品で、観る人によっては「分からん……」となるような作品でした。

なぜなら、『未来のミライ』は、多くの娯楽作が取る、カッチリとしたストーリーラインが設定されているようなプロットではなく、いくつかのエピソードがぽつりぽつりと語られ、やがてそこからテーマのようなものがぼんやりと立ち上がってくるという、ソフトストーリー的なプロットが採用されているからです(リアルな3歳児を主人公にするなら、それしかないと思います。プロットがしっかりとするようなストーリーは、主人公がカチッとしていなければなりませんし)。

しかし、一方でカンヌのようなヨーロッパ系の映画ファンは、こうしたソフトストーリーを好むという傾向があるようで、だからこそ、『未来のミライ』は海外で大ウケしたのでしょう。

そして、カンヌで広がった人脈や、高まった評価があればこそ、細田監督作品に海外クリエイター達が参加することになったわけです。

そうして、ワールドワイドな制作体制で作られた本作は、カンヌ国際映画祭のオフィシャルセレクションに選出されるという快挙を成し遂げ、その上映時には、実に14分間に渡るスタンディングオベーションに包まれることになりました。

これにより、細田監督の世界での注目度はさらに上がったことは間違いなく、次作以降、細田監督作品に参加したいというクリエイターはさらに増えることでしょう。

 


※ちなみに、本作の舞台となるネット空間【U】は、おそらくサマーウォーズ』で描かれた【OZ】が発展、進化したものです。明確な言及はありませんが、両方とも空飛ぶクジラがキーキャラクターになっており、また、劇中歌『U』の中で、「かかと踏み鳴らせ」という歌詞があるのですが、これは明らかに『オズ(OZ)の魔法使い』からの引用です。もしかすると、【細田守ユニバース】があるのかもしれませんね(笑)

 


未来のミライ』のさらに先へ進んだ細田監督の視点

未来のミライ』評でも語りましたが、細田監督の作品といえば、自身の状況や、考えていることが割と直で作品内容とリンクしている、極めて【私小説】的作品であり、そしてそれは、前作『未来のミライ』において、一歩先へ進んだと私は考えていました。

それはどういうことかと言うと、『時をかける少女』〜『バケモノの子』までは細田監督自身を中心に捉えた物語であったのが、『未来のミライ』において、その中心が、細田監督のお子さんに移ったのではないかということです。

そしてそれは、おそらく間違いではありませんでした。

というのも、やはり本作もその中心は、細田監督のお子さん、さらに言えば、我々の子供達がこれから歩いていく世界についての物語になっていたからです。

本作で描かれている世界は、先にも書いた通り、細田監督の18番である、ネット社会です。

しかし、そこで描かれるネット社会は、『サマーウォーズ』よりも、もっと生々しいもので、言ってしまえば、現実のネット社会により近いものとして描かれています。

そこは、現実の鬱屈した精神を解放する場であり、学校が終わっても、24時間の相互監視に置かれる場であり、デマや憶測が飛び交う場であり、100万人に好かれる場であり、50万人に嫌われる場であり……つまりは、救済と破滅、嘘と誠が表裏一体として常に存在する場なわけです。

そしてそれは、現在進行形で我々のすぐ隣にあり、さらに、その日常との不可分さは、こと学生にとって、まさにもう一つの現実という次元にまで達しています。

学生達にとって、ネットの発達が可能にした、24時間365日、常に誰かと繋がることができるというユートピアは、しかし同時に、24時間365日、常に誰かに監視されるというディストピアでもあるのです。

 

希望と絶望が薄皮一枚隔てただけで存在している世界

 

それが、現実のネット社会なのです。

そして、本作において細田監督は、その現実のネット社会の光と闇の両面を描いた上で、でも、最終的には肯定していこうとする

私は、その視点を、社会の酸いも甘いも知った上で、でも、それは素晴らしいものなはずだと送り出す親の視点だと思うのです。

子供達の未来に一抹の不安を抱えながらも、でも、希望を持って送り出す

まさに理想的な親の、いえ、大人の視点が本作には描かれています。

 


歌が物を語り、音楽が感情を揺さぶる、真のミュージカル

本作は、別にミュージカル映画ではありません。

しかしながら、主人公が、今風に言えば、ネットでバズっていく歌い手ということで、物語の節目節目で彼女の歌うシーンが挟み込まれています。

それはもちろん、ミュージカル的に感情の昂りが突如として歌になるなんてことではなく、物語的必然性を持った、あくまでも物語世界と地続きな形での歌唱となっています。

そこで披露される歌も、その場の思い付きやセリフを歌にしたものなどではなく、母から受け継いだ音楽的知識を持って、鈴が一生懸命に作り、生み出した歌であり、楽曲です。

しかし、いえ、だからこそ、その時々の鈴の本当の心境や、考えていることは、歌の中でしか表現されません

歌詞が、音が、そして映像演出までもが一丸となって、鈴の気持ちを物語るのです。

もう一度言いますが、本作はミュージカル映画ではありません、しかし、その物語の語り口は、極めてミュージカル的であり、そして、ある意味ではミュージカルすら超えているかもしれません。

歌詞による説明ではなく、楽曲の素晴らしさが物語を語り、そして、感情を揺さぶってくる【歌に泣かされる】という真のミュージカル体験

本作は、ディズニー・ルネサンス期の代表作、美女と野獣を強く意識した作品ではありますが、こと、楽曲で感動させるということに関して言えば、本家超えを成し遂げていると個人的には思います。

それほどまでに、本作の楽曲および歌唱シーンは素晴らしいです。

 

この歌唱シーンの素晴らしさは、アニメーションスタッフ達はもちろん、楽曲を担当したmillennium parade、そして何より、本作では声優と歌のどちらもをこなしたシンガーソングライター、中村佳穂さんの歌声なしではありえません。

空気を含んだような歌声と、つぶやきが歌になるかのような歌唱との見事なまでの融合により、一度聴いたら絶対に忘れられない、唯一無二の響きを持って我々の心へと直に触れてくるのです。

もちろん、全ての歌唱シーンが素晴らし過ぎるほどに素晴らしいのですが、特筆するとすれば、やはり本作が始まった瞬間から始まる、本作のメインテーマ『U』の歌唱シーンでしょう。

打楽器をメインにした力強い伴奏に、圧倒的な情報量と物量を持って迫り来る映像演出、そして、前述した中村佳穂さんの超絶的歌唱とが高次元で渾然一体となり、観る者の脳をブン殴り、心を揺さぶって、問答無用に物語世界へと引き摺り込むあのシークエンスの素晴らしさは、映画館以外ではなかなか味わえない稀有なものですし、あのワンシークエンスだけで入場料分は元を取れてしまうくらいだと思います(笑)

また、クライマックスでは、それとは逆に極めてミニマルな要素だけで展開する歌唱シーンがあるのですが、そちらはそちらで、物語のエモーションと歌唱のエモーションとがないまぜになり、気がつけば涙が流れてくるといった有様……。

これはもう目と耳からブチ込むドラッグ!!!(ある種の映画に対するとりふぁ的最高の褒め言葉

いやもう本当、歌と映像を楽しむだけでも最高なんスよ……!!!!

 


ネットを舞台に『美女と野獣』を描くという慧眼

先ほどもチラッと書きましたが、本作の叩き台となっているのは、91年に公開されたディズニー版『美女と野獣』です。

美女と野獣』は、女性であるにも関わらず本を読むのが好き知的好奇心旺盛(物語の一応の舞台とされている16〜18世紀フランスでは、女性は本を読まないものとされていたようです。ちなみに、時代の範囲が長いのは、ディズニー版『美女と野獣』は、要素だけを取り出すと様々な時代のコラージュのようになっているためです)なベルが、粗野で横暴な野獣と出会い、彼を人間的に教育する中で、彼の中の優れた人間性に触れ、恋に落ちるという物語でした。

そのテーマを大雑把に解釈するなら、人間性は見た目や立場で決めつけられるものではない】と言ったところでしょうか。

要するに、【レッテルを貼るな】ということですね。

そこへ来ると、近年の社会、とりわけ、ネット社会はどうでしょう?

SNS上では、日夜、画像加工を駆使して自ら作り上げた【幻想の美男美女】が自撮りを晒し、その一方で、匿名性や公の正義を隠れ蓑に、人に対して好き勝手な暴言を投げ付ける【口先だけの野獣】が暴れ回っています。

美女(美男)は自らに美しいというレッテルを貼ることで虚栄心を満たそうとし、野獣達は他人にレッテルを貼ることで己の優位性を保とうとしているのです。

美女と野獣』では、容姿端麗な王子が呪いにかけられて醜い野獣へと変貌してしまい、その呪いを美女が自らの行動と真実の愛でもって打ち破るわけですが、しかし、今の社会では、【美醜という呪い】にかけられた人々が、画像加工という魔法によって自らの姿を変え、対して、ネット上で暴れ回る野獣達は、【匿名性と公の正義という拳】を用いることで、自ら進んで誰かを傷付けて回っているというような状況です。

この状況は、美女と野獣』の要素や関係性が逆転しているように、私は思います。

つまるところ、ネット社会では、美女(美男)達こそが呪いにかけられており野獣達は、好き好んで野獣になっているという現状があるわけです。

ネタバレになるため、今回は伏せますが、そのように解釈した上で本作を観ていくと、人物配置の仕方や終盤の展開はなかなか面白いのではないかと思います。

ネット社会を舞台に、現代の『美女と野獣』を語り直す

その慧眼に私は舌を巻きました。

 


まとめ

というわけで、『竜とそばかすの姫』のご紹介でした。

正直、多くの人が疑問に思ったり、何かしら思うどころがあるであろう、ラストのあの展開については、本作に惚れてしまった私自身もどうかとは思います

なんていうか、やりたいことは分かるけど、それが先走り過ぎて矛盾が生まれてしまっていますし、ご都合主義感もあるなぁと。

さらには、とある制度について、誤解を招きかねない表現や、義勇と無謀を取り違えかねない表現もあり、それははっきりと問題だとは思います。

細田監督の作品は賛否両論が激しい部類ですし、事実、歪なところもある作家だとは思います。

しかしながら、それを差し置いても、やはり本作は細田監督最高傑作と呼ぶにたる素晴らしい出来ですし、そして、なおも、やはり細田監督は一生追い続けるに足る監督の一人であると確信させられた一本でもありました。

なんといっても、アニメとしての映像の圧が凄まじく強い……!!!

それにプラスして、音楽が非常に重要な作品ということで、映画館だからこその大画面と、最高水準の音響設備でこそ観るべき作品だと思います。

というか、ぶっちゃけ映画館で観ないと意味がない類の作品ですよ、これ。

観てから記事を書き上げるまでに時間がかかってしまいましたが、まだまだ公開している館も多いですし、個人的には、【他のどの作品を差し置いても、今、映画館で観るべき作品】だと思います。

なんでもいいから今すぐチケット取ってください!!!!!!!

 


※本日ご紹介した『竜とそばかすの姫』は、2021/8/23現在、全国の映画館にて公開中です。

 

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