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細田守という【作家】の過去と未来を繋ぐ『未来のミライ』

どうも、とりふぁです。

細田守ってご存知ですか?

時をかける少女や、サマーウォーズなどの監督さんで、庵野秀明新海誠と並んで、現在のアニメ映画を牽引する監督の一人です。

ポスト宮崎駿なんていう呼び方をされることもありますね。

もっとも、その呼び方は個人的には、違うかなと思いますし、おそらく、今後、宮崎駿的なアニメ監督は出てこないんじゃないかな? とすら思っています(というか、ポスト◯◯って言い方自体、どうかと思います)。

さて、そんな細田守ですが、三作目のおおかみこどもの雨と雪以降、その作品評価は、けっこうバッコリ割れる傾向があります。

とはいえ、私個人としては大好きな監督さんで、はっきりと全作品好きですし、おそらく、今後も全ての作品を追うだろう監督さんの一人ですね。

本日は、そんな細田守さんの作品が、なぜ評価が割れてしまうのかという個人的見解も含めつつ、現時点での最新作『未来のミライ』をご紹介したいと思います。

 

 

未来のミライ』のあらすじ

クンちゃんは、電車が大好きな4歳の男の子。

両親の愛情をいっぱいに浴びて育ってきたくんちゃんであったが、妹のミライちゃんが生まれたことにより、その状況が一変する。

それまで、クンちゃんにかかりっきりだった両親は、当然、小さなミライちゃんにかかりっきりになってしまう。

それが面白くないクンちゃんは、度々癇癪を起こすが、状況は変わらない。

そんなある時、クンちゃんは、家の中庭で不思議な男に出会う——。

「すきくないもんッ!」

 

 

レビュー

細田守という【作家】

本作をご紹介する前に、まず、細田守という一人の【作家】について、私が考えるところをお話ししておきます。

細田守デジモンアドベンチャー/ぼくらのウォーゲーム!』辺りから、業界関係者やコアなアニメファンから注目されるようになり、一時はジブリにてハウルの動く城の監督を任されるほどになります(もっとも、諸々の事情により、その話しはお流れとなります)。

 

僕らのウォーゲームは、『サマーウォーズ』の叩き台となった名作です

そして、そのジブリ宮崎駿の後継者探しで、なんとなく下火になりはじめた辺りで、時をかける少女サマーウォーズという、アニメ映画史に残る傑作を立て続けに作り上げたことで、一般への知名度も一気に向上。

その活躍と作品の普遍的素晴らしさは、ジブリをはじめ、我々観客までもが宮崎駿の影を追っていた当時の状況にガチっとハマり、それがいいか悪いかは別としても、一躍、宮崎駿の後継者とまで言われるようになりました。

しかし、その後に製作したおおかみこどもの雨と雪が、観客によって極端に賛否が分かれる作品だったのです。

 

そして、それ以降の作品も、やはり賛否が真っ二つという流れは変わらず、現在に至っています。

このことについて私が思うのは、【本来、非常に作家性が高い細田守という監督の作品が、普遍的なモノとして世間に受け入れられてしまった結果】なんじゃないかということです。

細田守という監督は、普遍的な面白さの作品を作っているようでいて、実は、私小説的なアプローチという、極めて個人的な作品を作り続けている【作家】なのです。

時をかける少女』では、東映アニメーションを退社し、これから何をしようかという、自身のモラトリアムな状況を反映した作品でしたし、『サマーウォーズ』は、結婚して、親戚が一気に増えたことを反映した作品でした。

おおかみこどもの雨と雪』は、子育てを通して感じた女性のたくましさに感銘を受けたことが反映されていますし、『バケモノの子』では、今度は逆に、父親として子供にできることはなんだろうということが反映されていました。

 

そして、今回ご紹介する『未来のミライ』は、自身の息子が妹に対して感じた嫉妬を反映した作品になっています。

このように、細田守という監督は、実は、常に自分語りをしている監督であり、彼の作品は、いわば、彼の人生そのものなわけです。

その中で、初めに公開された二作品、『時をかける少女』と『サマーウォーズ』が、たまたま世間の感覚と合致していたがために、【かつての宮崎駿的な、家族みんなで楽しめるアニメを作る監督が出てきた!】勘違いされてしまったのです。

そのために、本来なら少数の、【刺さる人には刺さる作品】向きな監督であるにも関わらず、【誰もが楽しめる作品ですよ!】というパッケージングのもとに、あまりにも多くの人々にまで届いてしまった結果、極端なまでの賛否両論を引き起こしてしまっているのだと思います(※)。

ちなみに、そうした諸々は理解し、さらに、細田守作品に対する批判まで読み、納得した上でも、前述した通り、今後も一生追っていきたい大好きな作家・監督であるというのが私のスタンスです。

強烈な批判を呼び起こすということは、逆に言えば、それが強烈に好きという人もいる、そういうことなんですよね。


※もっとも、個人的には、うがった見方さえしなければ、普遍的な面白さもあるとは思っています。しかし、極めて個人的な作品だからこそ、うがった見方を誘発させてしまうというか、嫌だと感じてしまうと徹底的に嫌だと思わせてしまう【何か】はあると思いますし、「嫌だ」という方の意見も非常によくわかります。


4歳の男の子を主人公にするという挑戦

さて、その上で本作『未来のミライ』ですが、今までの作品から、さらに一歩進んだかなと思いました。

それは、主人公を”リアルな”4歳の男の子に設定したことからも読み取れます。

ここで、”リアルな”と書いたのは、アニメに主人公として出てくる、少年少女は、多かれ少なかれ、年齢不相応な価値観や態度を持っていたりする(そうしないと物語にならないため)のですが、本作の主人公であるクンちゃんは、本当に4歳児並みの価値観と態度の男の子だからです(※)。

これはつまり、主人公やテーマが、細田守自身から、細田守の子供へと移ったということです。

実際、本作は、細田守の息子さんの実体験だったり、見た夢だったりが出発点となって出来上がった作品でもあります。

だからこそ、本作は物語としての軸がなく、とてもバラバラに見えるのです。

そりゃそうです、4歳の男の子の日常や夢の世界に、軸なんてありようがないんですから。

でも、そんなバラバラなことの中から、少しずつ、目には見えないほどに少しずつ、いつの間にか何かを掴んでいる

それもまた、4歳の男の子のリアルだと思います。


※ここのところを、「クンちゃんに共感できない、クンちゃんが嫌い」などと言っているレビューというか、愚痴をよく見かけますが、これぞまさしく、届くべきでないところにまで届いた結果だと思います。もっとも、予告編の時点で、まるでミライちゃんとクンちゃんの冒険活劇のような宣伝をしちゃってたのもマズイと思いますが……。


ミライちゃんはあまり出てこない……けど

前述のコメ印の部分でも少し触れましたが、本作は、タイトルである『未来のミライ』や、予告編から想像されるような、未来からやってきた大きくなった妹と、現在の小さなクンちゃんが冒険するというような物語ではありません

というか、寧ろ、ミライちゃんは劇中でほとんど出てこないと言っても過言ではありません。

本作は、あくまでも、クンちゃんという男の子の物語であり、しかもそれは、物語だけを取り出してみれば、4歳児らしく、劇的でもなんでもなく、基本的には家の中だけで展開する物語です。

しかし、そこに、中庭の木を起点とする不思議な時間旅行的要素や、細田守作品ならではの、非常に豊かで気持ちの良いアニメ的演出が組み合わさることにより、4歳児の内面で起こっている、【様々な変化】や脈絡のない【想いのようなもの】が視覚化されていく。ここに、映像的カタルシスとダイナミズムがあるのです。

そして、一見、脈絡がないように描かれてきた様々な物語や想いが、一つの像を結ぶ時、人が、なぜ今ここに生きているのかがふんわりと浮かび上がってくる

もちろん、クンちゃんの頭脳ではそれを理解することはできませんが、それでも、クンちゃんはその中から何かを掴み取り、ある一つのアイデンティティを確立するのです。

そして、それこそが、未来のミライにとって、重要なことだったのでしょう。


まとめ

ということで、未来のミライのご紹介でした。

正直、今回はネタバレギリギリまで突っ込んだ内容になってしまったかなと思っています(^◇^;)

しかしながら、本作に対する批判があまりにも多く、しかもそのほぼ全てが、あまりにも感情論的というか、「それ、あなたの見方のせいじゃない?」というのが多かったので、「そうじゃなくてですね、コレはこういう作品なんですよ」っていうのが伝えたかったのです。

もちろん、だからと言って、本作を好きになれとは言いません

映画的に色々と破綻しているところがあるのは確かだと思いますし(なんなら、ある意味では前衛芸術一歩手前かもしれません)、声優のレベルがうんぬんかんぬんも、まあ、分かります。

それに、よく批判にあがる、「家族がクンちゃんに無関心過ぎる」というのも分かります。

もっとも、間隔をあけて下の子ができた家庭なら、生まれてから2〜3年くらいは、こういうバランスの育児になってしまうとか、割とあることなんじゃないかなとは思いますし、そういうバランスの部分を、本作のように、上の子目線で見たら、余計とこういう描き方にならざるを得ないんじゃないかなと思います。

そのほか、劇中でクンちゃんがする【ある行為】についての批判も、的外れだと思います。

相手は4歳児ですよ?

ムシャクシャして、突発的にあれくらいのことはやりかねないです(なんなら、うちの娘も、アレくらいの時期に、当時3歳だった甥っ子に踏みつけられそうになって、私がとっさに助けに入ったりしましたし、オモチャで叩かれたりとかはしてます)。

まあ、ここら辺は各家庭にもよるから、本当、「それ、あなたの見方のせいですよね?」なんです。

そもそも映画は【正しいことを描かなければいけない】ものではありません。

【世間の流れはこうなのに、この作品は違う】とか、【この作品は、間違ったことが語られている】とか、そんなのは、創作物に対する批判としてはちょっと違うと思います。

もし、創作物が常に正しくないといけないなら、例えば、去年の映画界の台風の目の一つである『JOKER』なんかは、本来、批判の対象になってしかるべきですよね?

でも、世間の評価や、賞レースでの評価は、そうはなってはいません

だから、本作もその点に関してはこれでいいんです。

批判すべきところがあるとすれば、それは、もっと別のところだと思います。

何度も言うように、細田守は、極めて作家性の高い作家です。

だから、合わない人には徹底的に合いません

それはそれで構わないと思いますし、そんなことはいくらでもあります。

でも、合わないからといって、個人的な理由で駄作扱いしたり、批判したりするのは違うなぁと思うのです。

これは別に、私が細田守作品が好きだからこんなことを書いているわけではありません。

中には、すごく納得できる批判もありますし、『おおかみこどもの雨と雪』以降は、そういう批判が出てくるくらいには歪な作品だと思います。

でも、ただのグチみたいな批判は、やっぱり的外れだなと思うのです。

だいぶ話が逸れてしまいましたが、とにもかくにも本作は、【時間の超越】【家族という、祝福でもあり呪いでもある存在】【母と子】【父と子】という、今までの細田守作品的テーマを集約しつつ、同時に、次の一歩を踏み出した作品でもあります。

だからこそ、観る人を選ぶ作品ではありますが、刺さる人にはとことん刺さると思います。

願わくば、今後は、細田守作品が、間違った広まり方をすることが少しでも減りますように……!!!(笑)


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