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『THE GUILTY ギルティ』がいかに傑作か、ネタバレ込みで語りたい

どうも、とりふぁです。

さて、今回は前回の『THE GUILTY ギルティ』評の続きであり、終盤の展開まで完全にネタバレした上で語る回になります。

そのため、前回に当たる『THE GUILTY ギルティ』評を読んでおいていただきたいことはもちろんとして、原則としては、是非とも『THE GUILTY ギルティ』本編を鑑賞頂いてからお読みいただきたいなと思います。

では、ネタバレ回、スタートです!

 

 

 

 

ネタバレレビュー


ジャンル映画を超えた傑作

本作は、「音だけを頼りに推理していく」というギミックおよび、それを利用したサスペンスだけでも、ジャンル映画として十分以上に面白い作品です。

しかしながら、そこから更に一歩踏み込む大きなどんでん返しおよび、その後の展開から浮き彫りにされる、タイトルの意味を回収するシークエンスがあることにより、私は本作を傑作と評価するに至りました

以下で、何がそこまで素晴らしいのかを語っていきます。

 


叙述トリックが見事

本作は、主人公がいくつかの軽いアクシデントをサラッと解決するシーンを経てから、本編となる誘拐事件発生するという流れで物語が始まります。

しかし、鑑賞者の多くの人は、この時点で、既に本作のトリックに嵌められてしまっているのです。

というのも、【いくつかの軽いアクシデントをサラッと解決する】という描写があることで、我々鑑賞者は、無意識のうちに【この主人公は有能なのだ】と刷り込まれてしまうためです。

そのため、この後に起こる様々な出来事についても、【主人公は的確な行動をとっている】と思い込んで観てしまいます。

しかし、実際は【そうではなかった】ということが終盤で判明し、そして、遡って、寧ろ、主人公が行った行動は、【全て最悪の事態を引き起こしている】ということが明らかになるのです。

あるたった一つの隠された事実から、それまで積み重ねてきた全てが反転する

この構成の巧みさ、そして、そのために用いられた叙述トリックの上手さに私は思わず舌を巻きました。

なんて上手い脚本なんだ!! と(°▽°)

ちなみに、そこで判明するある事実というのは、誘拐の被害者だと思われていた女性は、実は、心神喪失状態の殺人者】だったということです。

この事実が判明したことにより、それまで主人公が被害者のために良かれと思って独断で行ってきたことは、実は全て殺人者への協力になってしまっていたことになり、そして物語は最悪の展開を迎えてしまうのです。

あぁ、面白い……こういうお話し大好き!!!(笑)

 


罪の告白が事態を好転させるというキリスト教的展開

さて、ここまでの展開の巧みさだけでも既に素晴らしいのですが、そこから先がまたさらに凄いんです。

物語最終盤、心神喪失状態だった女性が正気を取り戻し、【我が子を手にかけてしまったという罪悪感】から、自殺をしようとする、まさに誰一人救われない最悪の展開になっていきます。

もちろん、主人公は電話越しでやりとりをするしかないわけで、言葉による説得を試みることになるのですが、しかし、心神喪失状態で我が子を手にかけた人物にかけられる言葉なんてのは、なかなかありません

そんな中、主人公は、意を決して、自らが犯した【とある罪を告白する】のです。

その罪というのは、ある青年を、何の必要性もなく撃ち殺したこと。

そう、彼もまた殺人者だったのです。

しかも彼は、同僚と共に、その罪を揉み消そうと画策し、そしてそれは、翌日の公聴会(裁判? ちょっとそこら辺はよくわかってません、すいません汗)にて完全に揉み消される予定になっていました。

そうであるにも関わらず、彼は、この誘拐事件をあらぬ方向へ進ませてしまったという自責の念と、何よりも、女性と残された家族達のこれからを救いたいという一心で、自らの罪を告白し、そうすることで女性に寄り添おうとするのです。

その結果、女性は自殺をやめ、彼女もまた、自らの罪を見つめながら、残りの人生を生きることを決断することになり、最悪の事態は防がれました。

主人公は、自らの罪を告白する(=認める)ことで女性を救い、そして、女性は、自らの罪を認めることで、残された家族の心を救うことができた

そのようにして、罪を認めることが救いに繋がるというのが、本作の(隠された)骨子です。

罪を告白することで、神の怒り(=最悪の事態)から救われる

そのように考えると、なかなかにキリスト教的思想が強い作品なのかな? とも思います。

 


突きつけられる我々の罪

ここからは物語からはちょっと飛躍して、私なりの解釈になってくるのですが、この作品って、実は、鑑賞者に対しても罪を突きつけていると思うんですよね。

それはどういうことかといえば、本作は、よほど鋭い人でもない限り、基本的には主人公と同じ視点、つまりは、【女性は被害者であるという思い込み】に沿って物語を観ていくことになるわけで、そして、本作における一つの罪として、その【思い込み】が挙げられると考えているからなのです。

主人公はもちろん、本来彼が持っている罪とは別に、思い込みによって事件を酷い方向へと導いてしまうという罪を負いますが、本作のもう一人の罪人である女性もまた、殺人という本来持っている罪とは別に、(心神喪失状態とはいえ)【自分は誘拐の被害者であると思い込んだ】ことで更なる罪を負うことになるわけです。

そして、我々鑑賞者も同じく、【女性が被害者であると思い込む】。つまりは、作品を通して【思い込むという罪】を背負わされてしまうのです。

だからこそ、終盤で、その思い込みが打ち砕かれた時、我々は、言葉にできないほどの衝撃と共に、何とも居心地の悪い感覚を覚えるのでしょう。

さらに、本作ほど致命的なものはなかなかないにせよ、日常生活を送る中で、我々は多かれ少なかれ思い込みを抱きますし、もっと言えば、我々の世界は【常識という名の思い込み】によって回っているわけですから、思い込みが罪とするなら、我々は皆、等しく罪人なのだとも言えます。

そのようにして、観た人全員に罪を突きつけるという、作品内を飛び出した影響を与えるパワーを持った作品だからこそ、私は本作を傑作だと感じたのです。

 


まとめ

というわけで、『THE GUILTY ギルティ』のネタバレ込みのレビューでした。

本作はデンマークの作品なのですが、そういえば、前にレビューした『真夜中のゆりかご』も、本作に負けず劣らずの衝撃を残す作品でしたし、同時に、扱っているテーマとしては本作に非常に近しいものを感じる作品でもあります。

trifa.hatenablog.com

デンマークって、もしかして、そういうのが社会問題化してるのかな……?

何はともあれ、私が本作を観て感じたのは、上記したようなことでした。

皆さんは、どんな感想を持たれたでしょうか?

色んな視点に立って観るのも映画の楽しみ方ですし、私の視点に立ってもう一度観てみるというのも、面白いかもしれませんよ!