思った以上にドスンと来る『あしたは最高のはじまり』
どうも、とりふぁです。
当ブログのモットーとして、【いかにネタバレを避けつつ、作品の魅力や本質を語るか】というのがあるのですが、今回ご紹介する『あしたは最高のはじまり』は、本質を語ること自体がネタバレになりかねない作品です。
もちろん、直接的なネタバレは避けますが、それでも、おそらく多くの方が今回の記事でオチが予想出来てしまうかと思います。
一応、記事の前半はそうした部分には触れずに書きますが、後半の部分では直接の展開は書かないものの、テーマとしての核心には触れていきたいと思います。
そうしないと、本当の意味で本作をご紹介することができないのです。
記事内の【目次】では分からないようにしておきますし、核心に触れる前に【警告文】(そんな大袈裟なもんじゃありませんが笑)もお出しします。
そのため、「先の展開を予想することすら嫌!」という方は、警告文以降のパートは読まずに、作品をご覧になってください(その後、ご興味があれば、戻ってきて頂くと幸いです笑)。
では、ご紹介いたします!
『あしたは最高のはじまり』のあらすじ
南仏有数のビーチリゾート、コートダジュールにあるリゾート施設で、昼は観光客の案内、夜は自分主催のパーティを勝手に開くなどして、自由気ままに日々を送るプレイボーイ、サミュエル。
ある日、そんな彼のもとに、去年、彼と一夜を共にしたという女性、クリスティンが現れる。
彼女は一人の赤ん坊を抱いており、それが彼との子供だと言って、その子を一方的に置き去りにしてしまうのだった——。
「娘には、夢のような人生を送ってほしい」
レビュー
父になった男
本作は、主人公サミュエルが、子供時代に父と共に断崖絶壁に立っているところから始まります。
そこで、眼前の海を見ながら彼の父は、彼に「恐怖に打ち克ち、男になれ」と言うのですが、サミュエルは結局、崖から飛び降りることができませんでした。
そして、時は流れて現在。
案の定、サミュエルは、見るからに軽薄そうで、男らしさのかけらもない男に成長していました(笑)
仕事ぶりもテキトーで、日夜、お客さんをナンパしてはワンナイトラブに励むばかり。
そこへ、やはりワンナイトラブの相手だったと思われる女性、クリスティンが現れ、自称、彼との子だという赤ん坊、グロリアを置いてロンドンへと逃げていってしまいます。
当然、彼も仕事をほっぽり出して彼女のあとを追うのですが、結局、見失ってしまい、さらには、その所業に呆れた雇い主からも解雇されてしまい、【宿無し職なし子供あり】という、おおよそ考えたくもない状況に追い込まれてしまうのです。
しかし、そこから彼は、幸運な偶然にも救われつつ、一人の父としての人生をスタートすることになります。
そこからの彼は、それまでの彼とは異なり、まさに全てを娘のために捧げる、最高の父へとなっていくのです。
そしてそれは、幼き日の自分にはできなかった、「男になる」ということでした。
この展開、自分自身も結婚し、娘、息子を持つ父となった私の身からすると、非常にグッと来ます。
子育てをしているからこそ強く感じるのですが、子育てとは、読んで字の如く【子を育てる】ことでありますが、同時に【子に育てられる】ことでもあるなぁと思うのです。
自らが守り、育てなければならない者がいるということは、思っている以上に人間の成長を促すのです。
本作のメインテーマは、そこかな? と個人的には感じました。
正直、あとから考えてみると展開が急過ぎる感はいなめないのですが、オマール・シー演じるサミュエルから滲み出る人柄の良さがそれを緩和してくれるため、観ている間は全く気になりません。
母になれなかった女
一方で、サミュエルに子供を一方的に押しつけて去ってしまったクリスティンも、この物語における影の主役でしょう。
彼女は、たった一人で娘を育てるという重圧に耐えかね、そこから逃げ出してしまいます。
正直なところ、ここまでは、結構共感できるのです。
本編中では大人しそうな印象の彼女ですが、考えてみれば、彼女もまた、旅先でワンナイトラブしちゃうような……言ってしまえば、浅はかな若者。
それが、いきなり母親になって、頼れる人もいない中、たった一人で生まれたばかりの赤ん坊の世話をするというのは、想像を絶するストレスだと思います。
うちは私と嫁さんの二人+嫁さんの母親の三人体制で子育てをしていますし、嫁さんは子供が大好きで、育児自体も楽しく行なっていますが、それでも、日中は嫁さん一人のため、たまガス抜きをしないと、爆発することがあります。
具体的に、何がストレスになっているってわけでもないのですが、常に目をかけていなければならない存在がいるというのは、例えそれがどれだけ可愛いく、愛しい我が子でも、見えないストレスが自然と溜まっていくのです。
ましてそれが、たった一人で24時間となれば……。
彼女が育児ノイローゼ気味になっても仕方はないですし、誰も彼女を責めることはできません。
しかし、そこで彼女が一方的に置いていってしまったのは、やはりまずかったですね。
そこできっちりと事情を説明し、どうやったら二人で育てられるかを話し合うべきだった思います。
そして、8年後の彼女の所業。
ここからは、完全に同情できなくなっていきます(共感は、ギリできるんですけどね)。
もっとも、彼女側の事情はほぼほぼ描かれていないので、もしかすると、ここでも何か同情できる事情があったのかもしれませんし、あるいは、実際は初めから腹黒かったのかもしれません。
一見、大人しそう、おしとやかそうに見せておいて、8年後に彼女が連れてくるとある人物を見ると、その実、めちゃくちゃ奔放で強かなんだろうなというのは想像に難くないところ。
ここら辺の描き方は、言い方は悪いですが、女性の嫌なところを凝縮したかのような描写になっていますね(汗)
しかし、そんな彼女ですが、サミュエルと鏡像関係にあると考えて見ると、なかなか味わい深いです。
ようするに彼女は、グロリアを育て父になった男の鏡像、グロリアを捨て、母になれなかった女なのです。
グロリアを育てることができなかった=人間的に成長することができなかったために、8年後の彼女はわがままな子供のように見えるのです。
また、表面上は子供っぽいサミュエルの方が大人で、表面上は大人っぽいクリスティンの方が子供っぽいというのも、なんだか皮肉が効いていますね。
(ひとまずの)まとめ
ということで、ここまでが核心に触れないご紹介になります。
正直、子育てモノと思って観始めたので「あ、そこは飛ばすんだ?!」となった作品なのですが、本作の場合、描きたいことはまた別にあるんですね。
映画ネタをふんだんに盛り込みつつ、ダメ男が娘のために頑張る姿は観ていて気持ちがいいですし、その後の展開もあらゆる意味で感情を揺さぶられます。
万人が万人楽しめるタイプの作品だと思いますので、ご興味があれば、是非、ご覧下さい!
(それで、引っかかることがあったなら、この先を読んでみるのも一興と思います)
※本日ご紹介した『あしたは最高のはじまり』は、2019/12/17現在、アマゾンプライムビデオにて無料配信中です。
毎度おなじみ、『MIHOシネマ』さんで、本作の詳しいあらすじが紹介されています↓
【警告文】
以下のパートからは物語の核心に触れていきます。
改めてになりますが、直接的にネタバレはしませんが、その性質上、物語の結末が読めてしまう可能性は大いにあります。
そのため、なるべく先の展開を知りたくないという方は、ここでお引き返しください。
本作で本当に伝えたかったこと
さて、何度も書きましたが、ここからは本作の核心に触れていきます。
おそらく、本作で賛否が分かれるところがあるとすれば、物語終盤の展開だと思うんですね。
中には、【感動のために無理矢理あの展開を入れた】とか、【あの展開で涙を誘うのは納得できない】という意見もあると思いますし、もし作り手がそんな考えだったのであれば、私もそれには同意します。
しかしながら、私はそうは思わないんですよね。
それは、本作の原題『Demain Tout Commence(明日は新しい一日)』の語源を調べれば分かると思います(これは直のネタバレになるので、気になる方は、Wikipediaの『あしたは最高のはじまり』の項を読んでみてください)。
もっとも、今作はリメイクなので、リメイク元となった作品がどういった志の上で作られていたのかはわかりません(リメイク元は未見のため)が、本作にこのタイトルをつけているということは、作り手は安直にこの題材をリメイクしたわけではないと思うのです。
そのように考えてみると、最後のあの展開と、その後のあの表情、そして、このタイトルの真の意味に必要以上に嫌悪感を抱く必要はないかなと思います。
確かに、あんなことがあったとすれば、それは許せないことだとは思います。
しかし、現実にこれは起こりうることですし、そして、起こってしまった場合に、いつまでもそれを引きずることは健全とは思えないのです。
心に癒えない傷を抱えながらも、愛おしい日々を胸に抱いて前を向く。
とても辛いですし、とても難しいことだとは思います。
でも、だからこそ、それこそが、その後の人生でできる、唯一の正しいことだと私は思うのです。
本作で伝えたかったのは、それだったのではないでしょうか……?
(もっとも、あの状態からいきなりああなるのは、ちょっと現実としては考えられないですが)
まとめ
ということで、核心に触れつつのご紹介でした。
正直、ちょっと無理があるところもあるとは思いますが、それでも、本作が本当に伝えたかったことは、個人的にはとても共感できる内容でした。
もちろん、手放しで賛同するわけではありません(^◇^;)
しかしながら、もしも、万が一、ああいうことが起こってしまったなら、私は本作のように振る舞うだろうと思います。
なぜならば、本作の展開とは少しだけ違いますが、私の母がそういう人だったので。
私もそうするだろうと思うのです。
有名な言葉の引用になりますが、今日は誰かが生きたかった明日なのですから……。
色々と考えさせられる、いい映画でした。