アメリカの辺境を描く『ウィンド・リバー』
どうも、とりふぁです。
まだまだ暖かい日もありますが、寒い日はかなり寒くなってきましたね〜。
朝起きると、車も凍ってたりする日が増えてきました。
いよいよ冬ですね。
とはいえ、本日ご紹介する『ウィンド・リバー』の舞台と比べれば、まだまだ全然です。
なにせ、【走るだけで人が死ぬ寒さ】ですから……。
では、ご紹介です!
『ウィンド・リバー』のあらすじ
ここは、かつてアメリカ大陸全土で暮らしていたネイティブ・アメリカン達が押し込められた保留地の一つ。
-30度という極寒の寂れた土地。
そんな保留地で、ある若い女性の遺体が発見された。
彼女は裸足で、周囲には建物一つない。
彼女は、一体”どこから来た”のか?
FBIから派遣されてきた新人捜査官ジェーンは、地元のハンター、コリーと共に、アメリカの辺境に潜む闇へと踏み入っていく——。
「この土地に、"運"なんてものはない」
レビュー
テイラー・シェリダン節が冴え渡るアメリカ辺境モノ
本作の脚本、監督を務めたのはあの傑作シリーズ、『ボーダーライン』二作の脚本を手掛けたテイラー・シェリダンさんです。
ちなみに、監督作としては本作が初となりますね。
彼の脚本の特徴としては、物語の全容を最後の最後まで見せないことによる、言い知れぬ緊迫感が常に持続するというところでしょうか。
そして、物語終盤で全容が明らかになると共に、一気に作品世界がこちらに牙を剥いて来ます。
本作でもその特徴は健在で、やはり全容が掴めぬままに物語が展開し、終盤で一気に牙を剥いてこちら側に襲い掛かってきます。
この独特の緊迫感と、その先にある暴力性の発露こそが彼の作品の持ち味であり、最大の面白さだと思います。
また、彼の作品の特徴のもう一つに、アメリカの辺境とその闇を描くというものがあります。
『ボーダーライン』もアメリカとメキシコの国境付近で展開する血生臭い麻薬戦争という闇を描いていました。
本作の舞台となるウィンド・リバー保留地は、ネイティブ・アメリカンの住む極寒の土地で、もっと言えば、【生きるのに適さない土地】という、まさに辺境です。
そして、そこで起こるとある事件が、辺境の闇、さらにはアメリカという国そのものの闇すら浮かび上がらせていきます。
物語自体は『ボーダーライン』に比べれば地味なのですが、そこで描かれているモノは、非常に根が深く、そして、アメリカそのものに根差す病理のようなもので、言ってしまえば、『ボーダーライン』以上に大きな問題であると私は感じました。
ウィンド・リバーという土地
本作の主役は、ハンターのコリーと、FBI捜査官のジェーンです。
しかしながら、本作の真の主役は、このウィンド・リバーという土地そのものだと私は思いました。
この土地は、1830年の【インディアン強制移住法】によって出来た、ネイティブ・アメリカン保留地の一つです。
非常に雪深く、極寒の土地で、農業には適さず、また、企業もないので産業もできず、主だった仕事自体がなく、失業率は約80%にものぼります。
要するに、【人の住める土地じゃない】わけです。
ネイティブ・アメリカン達は、自分達の土地を奪われた上で、そんな場所に強制的に移住させられ、そして、そこに今もなお暮らし続けているのです。
そんななので、レイプや殺人などの凶悪犯罪も多く、治安が非常に悪い。
にも関わらず、アメリカの警察機構の複雑さ故に、2012年頃までは、2万人の住む鹿児島県ほどの大きさの土地に、本作でも描かれている通り、警察官はたったの6人しかいなかった。
その後、オバマ前大統領の尽力により、36人にまで増えますが、それでもまだ36人。
鹿児島県に警察官か36人しかいない。
これ、考えられますか?
なおかつ、殺人事件となると彼らには捜査権がなく、FBIが担当することになります。
要するに、絶望的なほどに警察官の数が足りず、つまりは、警察機構が機能していないのです。
そのため、ウィンド・リバーでは行方不明者数や未解決事件も非常に多くなってしまうのも必然というもの。
そんな状況で頼れるものは、銃のみ。
それ故に、そこに住む人々は銃を持たざるを得ず、誰も彼もが銃を持っていて、それによって物事を解決するという、西部劇の世界がいまだに残っているわけです。
日頃、アメリカで銃の乱射事件が起きる度に、「銃なんてさっさと規制しちゃえばいいのに」と思うことがある(もちろん、憲法や建国の問題等、色々と根が深いことは承知しています)のですが、こんな現実を見ると、そう簡単に規制、規制とも言えないですね……。
自分がいかに平和ボケしているかを痛感させられました。
自分の身は自分で守るしかない、運など存在しない世界が、世界ナンバーワンとも言える経済大国であり先進国でもあるアメリカにはまだ存在している。
その現実を知ることが出来ただけでも、本作の意義は非常に深いです。
アメリカの病理
本作を観てもう一つ考えざるを得なかったのが、アメリカの病理、マチズモについてです。
私は日頃から、「イエス! 大味、馬鹿映画!!」と言って、『コマンドー』やら『エクスペンダブルズ』やらを好んで観るタイプなのですが、そうした【マッチョイズム的筋肉アクション】の多くがハリウッド製である理由の一つに、アメリカの多くの男性が根強く持ってしまっている病理、【マチズモ】というのがあると思います。
要するに、【男らしくあれ】というやつですね。
しかもそれが、多くの場合、【暴力的であること】あるいは、【性に積極的であること】そして、【支配的であること】として理解されている節があります(『シェイプ・オブ・ウォーター』のアイツとか、モロですよね)。
だからこそ、アメリカの学園モノではたいてい、スポーツマン的マッチョグループ【ジョックス】が王者として君臨しており、他グループを馬鹿にして、あるいは、はっきりと叩き潰しているわけですね。
そんな彼らの世界では、【性に開放的でないこと】や、【刺激的でないこと】は軽んじられる傾向にあり、【純恋愛的なもの】こそを馬鹿にする傾向があります。
そうした浅はかな【マチズモ的思考】をいつまでも捨てることが出来ない。
これが、アメリカの病理だと思います。
もっとも、我々日本人の一部の人々にも言えることかもしれませんが……。
本作を観ると、そんなことまで考えざるを得ませんでした。
まとめ
ということで、『ウィンド・リバー』のご紹介でした。
物語としては非常に小粒なので、今回のご紹介では、物語や映画そのもののお話しではなく、その背景にある社会問題を中心に語ってみました。
本作は、このような社会的背景を知っているかどうかで、受け取り方や味わいが全く変わってしまうタイプの映画だと思うのです。
そうして観てみると、やはり、『ボーダーライン』同様、ドシンと胸に来る作品で、個人的には大好きな一本ですね。
また、ジェレミー・レナー、エリザベス・オルセンという、今となっては『アベンジャーズ』組というようなキャスト達本来の俳優としての力量の高さを感じる一作でもありました。
特に、この土地の不幸を一身に背負いつつも、日々を慎ましく【生きよう】としているかの様な、静かなる抵抗心と信念の強さを全身で体現するジェレミーの演技は、彼のベストアクトとも言えるレベルだと思います。
アメリカの負の歴史と病理に思いを馳せつつ、極上のサスペンスをお楽しみあれ!
※本日ご紹介した『ウィンド・リバー』は、2019/12/16現在、アマゾンプライムビデオにて無料配信中です。
毎度おなじみ、『MIHOシネマ』さんの記事です。詳しいあらすじ等はこちらで!↓