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『JOKER』は危険な作品?いえ、観るべき傑作です!

皆さんの考える、最高のヴィラン(アメコミにおける悪役)は誰ですか?

MCUにおいて大きな役割を果たした、サノス(アベンジャーズ)。映画版は残念なことになっていましたが、原作では圧倒的存在感を誇る、アポカリプス(X-MEN)。あまりの人気から主人公にまで登り詰めた、ヴェノム(スパイダーマン)。映画版では、主人公以上に感情移入してしまうキャラクターだった、キルモンガー(ブラックパンサー)などなど、味わい深いヴィランは数多くいますね。

個人的には、ヴィランの方が、ヒーロー以上に魅力を感じることの方が多いかもしれません。

さて、そんなヴィランですが、史上、最も有名で、かつ、最も魅力的なヴィランは誰でしょう?

そう、バットマンの永遠の宿敵、ジョーカーですね。

今回は、そんな彼が誕生する瞬間に焦点を当てた傑作、『JOKER』のご紹介です。

『JOKER』のあらすじ。

アーサー・フレックは、社会の底辺で生きる、しがないコメディアンだ。

彼は、学もなく、また、突然笑い出してしまうという病のため、まともな職につくこともできない。

彼の唯一の幸せは、床に伏せる母とともに、憧れのコメディアン、マーレイ・フランクリンのTVショーを観ること。

綱渡りのごとき危うさの中、ささやかな生活を送る彼であったが、やがて、社会という名の暴力が、彼を追い詰めていく——。

「理解できないだろ」

 

ジョーカーというキャラクター

レビューの前に、まずは、このジョーカーという、稀代のスーパーヴィランを掘り下げる必要があります。

以下で、私なりにジョーカーを掘り下げてみます。

①概要

ジョーカーは、1940年4月発行のBATMAN #1』にて初登場したヴィランです。

アメコミは、その性格上(※1)、キャラクター性を一つに絞ることは難しいのですが、おおまかには、特に理由もなく、次々と凶悪犯罪を犯し、それによって、人々が阿鼻叫喚している様を見て、一人大笑いしているというようなキャラクターですね。

不殺を誓い、警察組織の外部から犯罪と戦うバットマンとは様々な部分で鏡像関係になっており、故に、バットマンにとっては、切っても切れない縁で結ばれた、宿命の相手でもあります(※2)。

 

※1 アメコミでは、キャラクターの著作権を作者ではなくコミック会社が持っており、それゆえに、様々な作者による同一キャラクターが存在しています。作者が違えばキャラクターの解釈も異なるため、アメコミのキャラクターはその性質を一つに絞ることが難しいのです。

※2 事実、ダークナイト・リターンズ』という作品では、バットマンが引退したことにより、ジョーカーは廃人になってしまっており、そして、バットマンが復活するとともにジョーカーも復活します。それほどまでに、彼らは繋がっているのです。

 

②最弱にして最強(最凶)

さて、これだけ有名なジョーカーですが、実は、何の特殊能力も持っていません。宇宙の半分を消すこともできませんし、空を飛んだり、巨大化したりもできません。もっと言えば、射撃能力や格闘能力も特になく、言ってしまえば、戦いに関しては、一般人レベルです。

なので、ある意味、最弱のヴィランとも言えるでしょう。

しかし、そんなジョーカーこそが、バットマンにとっては相性最悪で、倒す事すらかなわない、最強の敵なのです。

それはなぜか。

その理由をまとめるとするならば、それは、ジョーカーの視点と性質の特異性にあります。

ジョーカーは、映画的な言い方をすると、【自分まで含めた全ての事柄をロングで見ている】人物です。要するに、【神の視点】で、全てを俯瞰しているのです。

その上で、全ての出来事を笑い飛ばしてみせる。「全部ジョークさ」と言い切れてしまう。だからこそ、単なる思いつきで、次々に悲劇を生み出し、その地獄の様を、笑いながら見ているのです。これはまさに、【悪魔の性質】と言えます。

チャップリンの名言に、「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングで見れば喜劇だ」というのがありますが、ジョーカーは、まさに、それを地でいく男なのです。

これを突き詰めれば、ジョーカーは、自らの失敗、もっと言えば、自らの死までも含めて楽しめてしまうということです。

この神の視点と悪魔の性質が、致命的なまでに、バットマンには相性が悪過ぎるのです。

なぜなら、バットマンは、幼少期のトラウマと、それ以上に、自らの立場上、殺人を犯せないからです。

幼少期のトラウマについては、バットマン・ビギンズや、今回の『JOKER』でも描かれていますので省きますが、立場上、殺人を犯せないとはどういうことでしょうか?

バットマンは、知っての通り、研ぎ澄まされた肉体と、様々なガジェットを用いて犯罪と戦う、クライムファイターです。

しかしながら、その活動はどうあがいても法の範囲外であり、言うなれば、警察や司法から見れば、バットマンもまた、犯罪者であるということは変わらないわけです。

ヒーローでありながら、犯罪者でもある

そんな彼とヴィラン達を分ける唯一の境界線が、【不殺】という信念に他なりません。

その一線を越えてしまえば最後、彼はヴィランとなってしまうのです。

だからこそ、バットマンは、ヴィラン達を殺すわけにはいきません。

つまり、バットマンヒーローであるというたった一つの証が、同時に、バットマン最大の弱点でもあるわけです。

そして、ジョーカーは、前述の通り、死を恐れておらず、故に、バットマンお得意の「殺すぞ」という脅しが効かず、本当に殺す以外に彼を止める方法はありません。そして、そのことがバットマンに対しての最強最悪の対抗手段だと自覚している。だからこそ、彼は最強であり最凶のヴィランなのです。

殺されるまで止まらないジョーカーと、殺すことはできないバットマン

ゆえに二人は、永遠にいたちごっこを続けるしかありません

③映画におけるジョーカー

ジョーカーというキャラクターが分かったところで、映画におけるジョーカーを見ていきましょう。

映画において、ジョーカーは、四人の名優によって演じられてきました。

一人目は、ジャック・ニコルソン陽気に演じたジョーカー。

二人目は、故ヒース・レジャー混乱の化身と化したジョーカー。

三人目は、ジャレッド・レトーパンクに演じたジョーカー。

そして、四人目が、ホアキン・フェニックス哀愁たっぷりに演じたジョーカーです。

この四人のジョーカーは、それぞれ全く違う性質と魅力を兼ね備えたジョーカーですが、これは、ジョーカーというキャラクターが持つ、様々で複雑な特徴のどこを増幅させて演じているかの違いだと思います。

どのジョーカーも魅力的ですので、この機会に見比べてみるのも一興でしょう。

レビュー

ここまで、ジョーカーというキャラクターを掘り下げてきました。これで、ジョーカーが、キャラクターとしてどれだけ魅力的なのかは分かっていただけたでしょうか?

では、本作のレビューに入っていきたいと思います。もちろん、いつも通り、直接的なネタバレは避けていきます。

社会という名の暴力

本作を私なりにまとめるなら、【社会という名の暴力についての話し】だと思います。

主人公であり、後にジョーカーとなるアーサー・フレックは、治安の悪い地域のボロアパートで、病気の母親とともに暮らす、(こういう言い方は好きではありませんが……)低学歴の低所得者です。

なおかつ、神経、あるいは精神を病んでおり、(周囲から見れば※3)何の脈絡もなく笑い出してしまい、それが止まらなくなるという病気を抱えてもいます。

体は痩せぎすで、全身に骨が浮き出ており、ろくに食べられてもいないことも明らか。

要するに、社会の底辺で辛うじて生きている人間なわけです。

物語の初めの頃こそ、広義で言うところの社会(※4)というシステムのおかげで、お金や薬を分け与えられており、どうにかその生活を維持しているわけですが、しかし、物語が進むにつれ、それらは、一つ一つ彼から取り上げられてしまいます

なぜなら、社会というシステム自体が、常に変化していくものだからです。

それゆえ、システムに辛うじてぶら下がっているだけの人間は、ほんの少し社会が変化しただけで、容易にそのシステムから取りこぼされてしまいます

社会とは基本的に、少数の犠牲の上に多数を生かすシステムになっています(選挙が多数決であることからも分かりますよね)。

全てを救うということは不可能なため、これはある程度しかたのないことです。

しかし、取りこぼされた側。犠牲を強いられる側からすれば、こんなに残酷なものはありません

少数者(=弱者)は、少数者であるがゆえに、声を上げることすらできず、ただただ埋もれていくしかないのですから。

これを、暴力と言わずして、何と言うのでしょう?

最も、その暴力に対抗するために【法】や【知識】というものがあるわけですが、しかし、これまた残酷なことに、そうした対抗策は、えてして、弱者には修得し辛くなっているものなのです(お金がかかったり、あるいは、それを習得するための情報自体が手に入り難かったり)。

とはいえ、実は、もう一つ対抗策があります。

【暴力】です。

声無き弱者が最後に訴えることのできる唯一の手段。

それが、暴力なのです。

なぜなら、社会が最も恐れることは、テロリズムと暴動だからです。

一度それが起こってしまえば、社会には大きな損失と変革が訪れます。

それをこそ、社会は恐れる(※5)のです。

そして、本作の主人公、アーサーも他に頼れるものがなくなり、暴力へと走っていくことになるのです。

 

※3 (周囲から見れば)とつけたのは、アーサー本人からすれば、きちんと脈絡があると私は思っているからです。おそらく、アーサーは喜怒哀楽、どの感情が動いた時でも、笑いとして発露してしまうのだと思います。つまり、アーサーが笑い出した=アーサーの感情が動いたということです。

※4 【広義】と言ったのは、大きな意味の社会だけでなく、学校や職場、家庭まで含んだ家族を意味するためです。アーサーは、そうしたあらゆる社会から暴力を振るわれているのです。

※5 社会は変化し続けるものではありますが、同時に、維持していかなければならないものでもあります。それゆえ、社会にとっては、大き過ぎる変化や、急激な変化は、維持という目的を破綻させかねません。だから、それを恐れるのです。

 

アイデンティティの剥奪

本作には、もう一つ大きな流れがあります。

それが、アイデンティティの剥奪です。

詳しく書くとネタバレになってしまうのでそれは避けますが、主人公アーサーは、本作の中で徹底的にアイデンティティを剥奪されていきます

そして、そのことこそが、彼がジョーカーというヴィランへと変貌を遂げる最大の鍵となっているのです。

映画ファン、アメコミファンの中では、ヒース・レジャー版ジョーカーが最も恐ろしいジョーカーと呼ばれることがあると思いますが、その恐ろしさの根源は、まさに、アイデンティティがない】ということでした。

彼には、どこで生まれ、どこから来て、何をするのかという、彼を特定する情報が何一つないのです。たった一つの特徴である、口元の大きな傷すら、その由来は全くわかりません。

何者でもないから、理解しようがない。そして、理解しようがないからこそ恐ろしい

そんな、ジョーカー最大の恐ろしいポイント、言うなれば、アイデンティティがないというアイデンティティを、本作では、アーサーのアイデンティティを奪われることが、逆にジョーカーのアイデンティティを与えられることに繋がるという形で描き出します。

本作のジョーカーが、後に他の作品のジョーカーになるということではありませんが、アイデンティティを持つ一個人が、アイデンティティのないジョーカーになっていく過程というのは、悲劇的ながら、非常に興味深いポイントでした。

そして、完全にアイデンティティを奪われたアーサーが、ついにジョーカーという怪物に成り果て、毎日毎日、我々に背を向け、苦しみながら登っていた階段を、軽やかに踊りながら、我々の方へ【降りてくる】シーンは、震えるほどのカッコ良さと美しさをたたえた名シーンとなるのです。

共感してはいけない危険な映画?

さて、本作ですが、各所で【危険な作品】【共感してはいけない作品】というように問題視されていますが、私個人としては、そんなことはないと思いますし、むしろ、【どんどん共感すべき作品】だと思います。

なぜなら、この作品は、明らかにアーサーに同情し、共感するように作られているからです。

たまにレビューやツイートなどで、【アーサー(ジョーカー)に共感した俺(私)ヤバイ‼︎】みたいなのがありますが、安心して下さい。それが正常な反応です。

というか、この作品を見て、アーサーに共感できない人間の方がヤバイです。

それってつまり、【社会という暴力に染まりきった考え方】ということですから。

今の社会(特にアメリカや日本)に生き、多かれ少なかれ、社会からの暴力に日々さらされている我々としては、むしろ、どんどんアーサーに共感しなきゃダメです。

その上で、アーサーにはできなかったこと。

つまり、【暴力以外の方法で社会に立ち向かうこと】をしていかなければならないのです。

だから本作は、【共感してはいけない危険な映画】などでは、決してありません。

寧ろ、【共感しなかればならない意義深い映画】だと私は考えています。

ホアキン・フェニックスがすごい

ここまでは、どちらかというと本作の深い部分を扱ってきましたが、最後は、最も表面的な部分について触れておこうと思います。

それは単純に、主演のホアキン・フェニックスがすげぇ!! ということです(笑)

まず、見た目からしてヤバイです。本当に骨と皮だけです。

彼の裸を背中側から写すショット一発で、その異常さがわかるほどの身体

特に、肩がおかしいんです。もはや、正常なそれではないのです。

そして、その骨と皮だけで、肩の骨が異様に突き出た身体が、なぜか酷く暴力的に見えるのです。

これはもう、凄まじいの一言。

ちなみに彼は、この役作りのために、大好きな食事をほとんどやめ、ナッツしか食べないとか、日に一個のリンゴしか食べないような生活を続けていたそうです。マシニストの時のクリスチャン・ベイルも凄まじかったですが、こういう役作りできる俳優さんって、もう頭がどうかしてると思います(最大級に褒めている)!!

当然、そうした食べない生活は精神にも作用し、彼はますますアーサー、ひいては、ジョーカーと同化していったそうですね。

また、もちろん彼の凄さは役作りだけではありません。その役作りから来る演技もまた凄まじい。

病気のせいで、ただ堪えきれず狂ったように笑ってしまうというだけの演技なのに、そこから、彼の本当の気持ちが見えてくるのです。笑っているんだけれど、本当は悲しいんだなとか、怒り狂っているんだなかとか、そういう感情の波が画面を超えてダイレクトに伝わってきます

また、本作で何度か出てくる、印象的なダンスのシーンには、彼がアドリブで行ったものも含まれていて、なおかつ、それが本作屈指の名場面となっていたり……そんなところもすごいですよね。

そして何より、あのヒース・レジャー版ジョーカーが今なお圧倒的評価を受けている中での、ジョーカーとしての主演。これに踏み切った勇気と、結果としてヒース・レジャー版に並ぶとも劣らない、ジョーカー実写版のマスター・ピース級の演技を成し遂げたことに、素直に脱帽です。

それだけでも、十二分にすごいことですよ!

まとめ

というわけで、『JOKER』のレビューでした。

正直、まだまだ語れることだらけ(タクシードライバーキングオブコメディとの関連とか、『シェイプオブウォーター』にも似た古典映画的味わいとか)な作品ではありますが、キリがなくなってしまうので、ここでやめておきます(笑)

先日、アメコミ映画史上初の金獅子賞を獲得し、なんなら、本年度アカデミー賞作品賞すら余裕で視野に入る本作。

今、劇場で観ておくことが、間違いなく、後世で自慢できるネタになる映画の一本です。

是非、劇場でご覧ください!!

 

※今回ご紹介した『JOKER』は、2019/10/23現在、全国の劇場で上映中です。