どうも、とりふぁです。
映画界には、ある種のアイコンともいえるキャラクターがいます。
最強の敵が実は——ダース・ベイダー。
冒険野郎といえばこの人——インディアナ・ジョーンズ。
世界一ツイてない男——ジョン・マクレーン。
被害者数100人超えの殺人鬼——ジェイソン・ボーヒーズ。
時代ごとにアップデートされるセクシースパイ——ジェームズ・ボンド。
などなど、とにかく枚挙にいとまがないですね。
しかしながら、そんなアイコン級のキャラクターを二人も演じた俳優といえば、この人くらいなもんでしょう。
映画人、シルヴェスター・スタローン。
彼は、ロッキー・バルボアという映画史に残る名キャクターを生み出した後、さらに、ジョン・ランボーという偉大なキャラクターに命を吹き込みました。
ワンマンアーミーを体現するランボーのキャラクターはとにかく強力で、英語では”Going Rambo(ムチャクチャに暴れてやるぜ)”という言い回しが生まれるほどでした。
そんなランボーシリーズ久々の最新作にして完結編、『ランボー/ラストブラッド』のご紹介です。
『ランボー/ラストブラッド』のあらすじ
1966年——ベトナム戦争参加。
1974年——重度のPTSDを抱え、帰国。
1981年——ワシントン州警察を相手にゲリラ戦。
1985年——ベトナムにて捕虜救出。
1988年——ムジャーヒディーン援護。
その人生のほとんどを暴力の中で過ごした男、ジョン・ランボーは、どす黒い己の性に蓋をし、生まれ故郷アリゾナにて、平和な日常を過ごそうと努めていた。
PTSDを薬で抑え、戦場で鍛えたスカウトの腕前を災害救助のボランティアへと活かし、農場にて、使用人やその娘とともに擬似家族として暮らす日々の中、彼は、人間性を取り戻していく。
しかし、そんな平和な日々の中にも、彼の人生に付き纏う暴力の影は、ゆっくりと、そして、急激に迫ってくるのであった——。
「君は俺に生きる喜びを教えてくれた」
レビュー
暴力を体現する男、ジョン・ランボー。
おそらく、ランボーの世間一般的なイメージは、弾薬帯を体に巻き付け、軽機関銃をばら撒きながらたった一人で軍隊を壊滅させるめちゃくちゃな奴と言ったところかと思います。
それはあながち間違いではないのですが、じゃあそれがランボーの本質かと問われると、そんなことは全くないわけで。
確かに、彼はグリーンベレー仕込みの殺しの技に長けており、どんな苦境もたった一人で切り抜けるサバイバルのスペシャリストでもありますが、その内面は非常に複雑かつ繊細で、過去のトラウマに苦しみ続けている人間でもあります。
彼は、戦争という最大の暴力の中で、国のためと信じて暴力だけを知り、暴力のみを特技として生きてきたにも関わらず、国へ帰れば居場所がなく——つまり、己自身が暴力の化身の如き存在であるにも関わらず、同時に、暴力によって誰よりも苦しんでいるキャラクターでもあるのです。
他人に暴力を与え、自らも暴力に苦しむ。
そんな暴力の理不尽さを全身で表現する、まさに、暴力の体現者とも言えるのが、ジョン・ランボーであり、ランボーシリーズなのです。
特に1作目の『ランボー(原題:First Blood)』は、行く当てのない孤独なベトナム帰還兵が理不尽な暴力にさらされ、その怒りを爆発させるものの、最後は、「国のために戦ったのに、この仕打ちはあんまりだ」とわんわん泣き叫ぶという、明らかなベトナム戦争批判、言うなれば、アメリカン・ニューシネマ最後の輝きとも言える作品でした。
そんなランボーのパブリックイメージが、本章の冒頭で書いたようになってしまったのは、主に、『ランボー2/怒りの脱出』、『ランボー3/怒りのアフガン』のイメージだと思います。
確かに、この2作はTHE80年代筋肉アクションとも言うべき作風ではありましたが、そんな中でも、やはり社会風刺的側面は忘れていませんでした。
しかし、3作目は、ソ連を敵として描くにはあまりにも公開時期が悪く、その後、長いことシリーズの続編は作られませんでした。
そして、誰もがランボーの本質を見失っていた中の2008年に、突如として公開されたのがシリーズ4作目『ランボー/最後の戦場(原題:RAMBO)』でした。
この作品は、現実に起こっている悲惨な暴力を舞台に、2作目3作目でランボーが見せたヒロイックな活躍を、【これ以上ないほどリアルに描く】ことで、【ただただ圧倒的な暴力とその悲惨さ】を、観る者の網膜および鼓膜叩きつけ、1作目もかくやという【アクション映画による暴力批判】をしてみせた傑作です。
この『ランボー/最後の戦場』のラストで、彼はその暴力の歴史に背を向け、自らの故郷へと帰っていったのですが、しかし、それから12年経った今、彼が再び暴力にさらされるというのが、本作『ランボー/ラストブラッド』なのです。
平穏の日々
本作は、ランボーが平和に過ごす日常描写から始まります。
この12年間、彼は、実家の牧場で馬を育て、使用人とその娘を家族のように愛し、そして、どこかで自然災害が起これば、戦場で培ったスカウトとしての実力を存分に活かし、人命救助に駆けつける日々を過ごしていました。
性格も大分人間らしくなり、かつての、人を寄せ付けない雰囲気は大分後退しているようにも見えます。
しかし、では彼が真実平穏に過ごしていたかというと、それは違うのでしょう。
あいも変わらず襲いくる過去のトラウマと、投薬治療の毎日もまた続いています。
そして彼は、己の暴力衝動を覆い隠すかのように、牧場の地下に巨大なトンネルを掘り続けているのです。
この日常描写に退屈してしまう方もいるかとは思いますが、個人的に、本作はここにこそグッと来ました。
前作のラストで、命懸けで救った人々から向けられた冷たい視線。
それは、かつて彼がベトナムから帰って来た時に向けられたものと瓜二つだったはずです。
そんな視線と暴力に心底疲れきり、たった一人、とぼとぼと実家に帰って行った、あの忘れ難い後ろ姿。
その先に、こんな穏やかな日々があったなんて、本作が公開されなければ、私は一生想像すらできなかったと思います。
だからこそ、この前半の日常描写は、暴力の化身、ジョン・ランボーに訪れた、いびつながらも穏やかな日々に感慨深くなることしきりでした。
もっとも、それで終わらせてくれないからこそ、『ランボー』なのですが……。
ランボー怒りの在宅ワーク
その後、なんやかんや(このなんやかんやは、正直言いたいことがたくさんあります。ノープランな『96時間』じゃねぇかよ!! とか……)でランボーは再びその超暴力性を発揮することになるわけですが、そこがまぁ凄まじい。
今回は、先程も書いた農場地下のトンネルに敵を引き込んでのゲリラ戦を展開するわけなんですが、この【自分の陣地に敵を引き込んでのゲリラ戦】というのは、まさに1作目でランボーが行った戦法であり、ここに、暴力の円環構造が完成するわけです。
シリーズ完結編として、ここら辺はなかなか上手い作りですね。
ここへ至るまでの準備シーンも素晴らしく、娘との思い出の場所であり、自らの帰る場所でもあった農場を、文字通りキリングフィールドと化していくシーンは、問答無用でブチアガります。
特に、今回は初めてランボーが自身の怒りのために戦う(これまでは、どちらかと言うと誰かの代弁者としての怒りが多かった)ため、そのエモーションの高まりも合わせて、まさに本作の白眉だと思います。
そして、準備万端整えたところへ、敵が押し寄せるわけですが、そこからはもう、ただただ一方的な虐殺が展開していくのみです。
ベトナム仕込みのブービートラップを駆使し、敵の悲鳴を目印に、一人また一人とオーバーキル気味に屠っていくその姿は、トンネルの暗闇と相まって、まさに死神の如し。
レーティング無視のゴア描写という意味では前作を踏襲している本作ですが、前作が銃を主体とする人体破壊を描いていたのに対し、本作は、非常にアナログなブービートラップによる人体破壊描写がメインになっているのも面白いところ。
もっとも、前作が真っ昼間の密林だったのに対し、本作は薄暗いトンネルということで、衝撃度はやはり前作には及ばなかったかなぁと思います。
まとめ
というわけで、『ランボー/ラストブラッド』のご紹介でした。
正直なところ、前作がテーマ的にも描写的にもあまりにも傑作だったため、前作の先にある【暴力】を描いてくれるのではという私の期待にはかなわなかったのですが、それでも、人生のほとんどを壮絶な闘いに費やしてきた男が、最後にどんな答えを見出すのかは一見の価値がありますし、何より、映画界のアイコンの活躍をスクリーンで観れるというだけでも観に行く価値がある作品だと思います。
また、これを機に、これまでランボーシリーズを観てこなかった方にも、シリーズ共々、ぜひ観てもらいたいと思います。
特に1作目と4作目は、映画史に残る傑作です(もっとも、4作目は2作目と3作目を経たからこその傑作でもありますが)ので、イメージ先行で観ないでおくにはあまりにも惜しいです。
なにはともあれ、苦節39年。
俺達のランボー、俺達のスタローン、本当に本当にお疲れ様でした!!!
※本日ご紹介した『ランボー/ラストブラッド』は、2020/6/30現在、全国の劇場で公開中です。
最高の女編集長による最強の映画メディア『MIHOシネマ』さんもチェック!↓