強かな女性像としての『Lolita/ロリータ(1997年版)』
ロリータという言葉は、おそらく、多くの方が聞いたことがあると思います。
幼女や少女に対して、性的な興奮や恋愛感情を抱く人。いわゆる、小児性愛者をロリコン(ロリータ・コンプレックス)と呼んだり。
あるいは、フワッと膨らんだスカートを履き、レースを多用した、お姫様のような服装をロリータ・ファッションと読んだりもしますね。
そんな耳馴染みのあるロリータですが、その言葉の由来が、まさに『ロリータ』という名の一冊の小説だということは、知らない方もいるのではないでしょうか?
今回は、そんな『ロリータ』を原作とした1997年の映画、『Lolita/ロリータ 』のご紹介と、レビューです。
(1961年のスタンリー・キューブリック版ではありません)
※なお、この文章はAmazonに私が【+trifa+】(【】は抜き)というユーザー名で投稿したレビューに大幅に加筆修正を加えた完全版です。
『Lolita/ロリータ』(1997年版)のあらすじ
ハンバートは、少年時代に14歳の美しい少女、アナベルと運命的な恋に落ちた。しかし、幸せな時間は長く続かず、運命のいたずらにより、アナベルは若くしてこの世を旅立ってしまう。
時は流れ、すっかり中年のフランス文学教授になったハンバートであったが、心の時計は、あの14歳の頃のままで止まってしまっていた。
そんな彼が、執筆活動のために訪れた下宿先で、ドロレスと言う名の魅力的な少女と出会い、止まったままだった心の時計が動き出してしまうのだった——。
「あたしが夢中になったのは、彼だけよ」
trailer on youtube↓
レビュー(ネタバレなし)
この物語をどう受け取るか?
『Lolita/ロリータ』は、あらすじを読んでも分かる通り、中年の男性が、14歳(原作では12歳)の少女に恋をする、というお話しです。そのこと自体をどう受け取るかは、観る人の価値観、倫理観によって全然違うと思います。
ある人は、【自分には理解できない変態の話し】として、全然理解できない、あるいは気持ち悪いと思うかもしれません。
またある人は、【時が止まってしまった男の悲恋】として、ハンバートに同情するかもしれません。
あるいは、二人の関係性に注目し、【幼稚な中年男性と早熟な少女のロードムービー】と受け取る人もいるでしょう。
そんな風に、様々な受け取り方のできる本作ですが、私個人としては、ドロレスの強かさに注目し、【女性の強かさを描いた物語】という風に受け取りました。
女性の強かさを描いた物語?
ヒロイン……というよりは、完全にファム・ファタール(男性を破滅させる、運命の女性というような意味)であるドロレスは、ハンバートのせいで、人生の歯車を大きく狂わされてしまいます。
とある理由から母親を失い、保護者も庇護者ももたない彼女は、ハンバートの都合のいいように連れ回され、都合のいいように、その幼い身体と愛を求められます。また、物語中盤からは、他の男の都合にも振り回されてしまいます。
もっとも、彼女の母親もドロレスのことを少なからず疎ましく思っていたようにも見えるので、ある意味では最初から彼女は孤立無援だったとも言えるかもしれませんが……。
しかし、ドロレスは、そこでただ黙って振り回されるばかりではありません。寧ろ、自分の魅力や相手の状況を巧みに使って相手を手玉に取り、限られた条件の中ではあるものの、その時々で、常に、自分にとって最もいい状況を作り出していきます。
無邪気さ故の魔性と、奔放さ故の計算高さ。そして、それらを使い熟す強かさ。
それらを武器に、ドロレスは、大人(と言えるかどうかは別として)や、不幸な境遇に立ち向かっていくのです。
誰かの都合に振り回されながらも、誰の都合通りにもいかせてやらない。
そんな強さを持つ少女、いや、女性がドロレスなのです。
彼女のその強かさを、見かけ上は彼女を振り回しながら、本質的には彼女に振り回されているというハンバートの視点から描いたのが、この作品です。
※ここまでが今回のレビューの本旨です。ここから先は、多少のネタバレ込みで、また違った視点でこの作品を語るオマケみたいなもの。よかったらお付き合い下さい。
一方の大人達は?(ネタバレ含む)
※改めてになりますが、ここからは、具体的なストーリー展開に関するネタバレを含みます。1997年の作品ではありますが、ネタバレを回避したい方はご遠慮下さい。
さて、ここで視点を少し変えてみます。
前述した通り、この作品において、少女であるドロレスは、計算高く、強かな人物として描かれています。
では、大人達はどうでしょうか?
この作品に出てくる大人は、主に三人です。
一人目は、主人公、ハンバート。
二人目は、ドロレスの母、シャーロット。
そして、三人目は、ドロレスを連れ去る、もう一人の小児性愛者、クレア。
これら三人の大人は、どのように描かれているのでしょう?
結論から言えば、彼、そして彼女らは、欲望のままに動く、幼稚な存在として描かれていると私は感じました。
一人一人、見ていきましょう。
1.シャーロット
まずは、ドロレスの母親、シャーロットから。
ぶっちゃけた話、彼女は、物語序盤の不幸な事故により早々に退場してしまうので、キャラクターとしての描写は、とても少ないです。しかしながら、その描かれ方は、他の大人であるハンバート、クレアと合わせて考えてみると、一貫したものがあるので、取り上げてみます。
未亡人で一人娘の母として登場した彼女は、初対面のハンバートに対し、グイグイ、アプローチをかけていきます。
その一方で、娘であるドロレスへ厳しく当たる描写こそあれ、優しく接する描写はありません。
さらには、娘を家から全寮制の学校へと追い出して、ハンバートとの甘い新婚生活を楽しもうとすらします。
彼女が心の底からハンバートに魅力を感じていたのか、それとも、ハンバートの財産(お金持ちという描写があるわけではないですが、ハンバートの立場や根無し草の旅に気楽に出られてしまうところ。また、愛する者のためとはいえ、4,000ドルもの大金をポンと出せてしまうところなどを見るに、そこそこの財産はありそう)に魅力を感じていたのかは分かりませんが、いずれにせよ、14年間育ててきた自分の子供よりも、初対面の男になびく辺りに彼女の大人としての責任感のなさ、つまりは、幼稚さが、ありありと現れています。
結局、ハンバートが愛していたのは自分ではなく、娘であったということを知ってしまい、ハンバートを拒絶する彼女ではありますが、その態度は、娘を守る【母親】の姿というよりも、自分の男を奪われ、嫉妬に狂う【女】の姿に見えました。
いずれにせよ、彼女は最初から最後まで徹底して【自分】のことしか考えていない、幼稚な人物だったのです。
2.ハンバート
続いては、主人公であるハンバートです。
彼は、冒頭に語られる不幸な出来事が原因となり、14歳の時点で時が止まってしまっています。だからこそ、14歳の少女、ドロレスに心を奪われてしまうのです。
いい歳した大の大人が、幼い少女に恋をしてしまう。私個人としては、これ自体を悪いこととは思いません。犯罪を犯さず、人に迷惑をかけることもないのであれば、心の中は自由ですし、恋愛感情に年齢は関係ないと考えているタイプですので。
それに、詳しくは後述しますが、ハンバートは、いわゆるロリコンや、ペドフィリア(子供に対して性的興奮を覚える人のこと。個人的にはロリコンとは区別します)とはまた別だと私は思います。
しかし、彼の場合は、恋に落ちたその後がいけなかった。
彼は、ドロレスの側にいたいという自らの欲望だけを優先して、愛のない結婚をし、そのストレスの捌け口として日記でシャーロットを口汚く罵ります。挙句、それが元となり、間接的にではありますが妻の命すら奪ってしまいます。
さらには、ドロレスに嘘をつき、彼女の好意と性への好奇心を利用し、好き放題やってしまう。
これは、アウトです。
完全に、アウトです。
真実を明かしたその後も、(本人にそのつもりはないでしょうが)法律上の保護者という立場を利用し、彼女の人生を籠に入れて弄び、のみならず、その大人と子供というパワーバランスを利用した自分勝手な振る舞いを、純愛と信じきっているのです。
しかし、ドロレスはそこから逃げ出し、他の男の下へと去ってしまいます。
そして、紆余曲折の末に嫉妬に狂ったハンバートは、ドロレスを奪った男、クレアを見つけ出し、射殺してしまうのです。
まとめますと、ハンバートは自らの欲望や嫉妬のままにシャーロットを不幸にし、ドロレスの人生を狂わせ、クレアを殺します。彼は、無自覚なまま、三人の人生を決定的に変えて(のみならず、終わらせて)しまうのです。
ワガママで無自覚。それこそが、彼の幼稚さでした。
3.クレア
最後は、ハンバートの甘美なる日々に介入し、その日々、および、彼の幻想までも破壊した張本人、クレア・クィルティです。
クレアは、目をつけた少年少女を自らの館に集め、夜な夜な変態的な行為をさせては、それを眺めるという、正真正銘のペドフィリアです。
自身は性的不能者であるため、子供達に手を出してはいないとのことですが、上記の行為だけでも、アウト中のアウトでしょう。
そして、彼こそはハンバートと対をなすキャラクターであり、だからこそ、ハンバートと同じくらい、非常に幼稚な人物でもあります。
上記したおぞましい行為は、当然、自らの歪んだ性癖と、それに基づく欲望を満たすために行なっているものです。
しかも、ドロレスへの執着心故に、執拗に彼女を付け回し、言葉巧みに誘惑し、ついにはハンバートから奪い去ってしまう。このことからも分かるように、自らの欲望を満たすためには、他人のことなどお構いなし。おそらく、ドロレス以外にも何人もの少年少女が同じように連れ去られているのでしょう。
そのくせ、自分の思い通りにならなかったり、あるいは、飽きたりしたらすぐに捨ててしまう。あまつさえ、そのことを忘れてしまえる。
まさに、オモチャを欲しがり、すぐに飽きる子供そのものであり、もちろん、幼稚さの極みでもあります。
しかも、彼の場合は、そのことに自覚的でもある。
幼稚さに無自覚なまま、他人の人生を狂わせるのがハンバートなら、幼稚さに自覚的に他人の人生を狂わせるのがクレアです。
どちらがよりタチが悪いかは個々の判断に任せるとして、このようにハンバートとクレアは鏡像関係になっているのです。
ハンバートはロリコンではない?
さて、ここで、ハンバートの節で書いた、【ハンバートはロリコンやペドフィリアではない】という話に戻ります。
記事の冒頭で、幼女や少女に対して、性的な興奮や恋愛感情を抱く人をロリコンと書きました。
さらに詳しく分けるなら、少女に恋愛感情を抱くのがロリコンで、子供に性的興奮を覚えるのがペドフィリアです。
要するに、ロリコンは少女を愛しいと思い、それ故に結果として性的な方向へ向かう可能性もある程度。
しかしながら、ペドフィリアは愛しいという思いはなく、あくまでも性のはけ口として子供を見てしまうことです。
例えるなら、恋人(あるいは、思い人)とAVの違い、と言ったところでしょうか。
さて、この観点からハンバートを見てみますと、一見、彼はロリコンに見えます。
しかし、そうではないと私は思うのです。
なぜなら、彼の場合、恋愛感情を抱いた相手は、おそらくドロレスだけであり、そして、彼女への愛情は、例え彼女が大人になり、年を重ねたとしても変わらなかったであろうことが容易に想像できるからです。
事実、物語終盤、ドロレスとの再会のシーンでは、ドロレスが母となり、つまりは大人(と呼んでいいかどうかは微妙なところですが……)となってからも、彼女への愛情は変わっていませんでした。
つまるところ、彼は、偶然にも、そして、不幸にも、愛した相手が少女だったというだけなのです。
もちろん、少年時代のトラウマ故に心の時計が止まってしまい、恋愛対象が極端に年下になっていたのは否めませんが、とはいえ、それでも彼はドロレスと出会うまでは人生を踏み外してはいなかったのです。
ドロレスと出会ってしまったからこそ、彼の心の時計が動き出し、そして、人生を踏み外してしまったのです。
しかし、だからこそ彼は、ドロレスと出会ってからも、大人であり続けるべきでした。
いかにドロレスが魅力的であろうとも、いかに誘惑してこようとも、毅然とした大人の態度で接し、シャーロットと結婚するという手段を選ばずに、周囲の大人の一人として、ドロレスを見守るべきでした(もっとも、シャーロットのワガママ故に、彼女と結婚しなければ、ドロレスに会えなくなるという状況に追い込まれてしまったわけではありますが)。
そうすれば、もしかしたら大人になったドロレスと、正式な形で恋愛をすることができたかもしれません。その確率は限りなく少ないですが、それでも、大人であるならば、当然、そうすべきでした。例え彼女と結ばれなくとも、大人の恋愛としてドロレスを愛するなら、身を引くこともまた、愛情です。
けれども、彼は子供だった。14歳の少年のままだった。だからこそ、この悲劇は起きてしまった。
ドロレスは、ハンバートにとってのファム・ファタールだったのです。
出会ってはいけない存在だったのです。
ドロレスだけが大人だったのか?
ここまで書いてきた通り、本作における大人達は、その実、全員が心の奥底は子供のままの幼稚さを色濃く残した存在でした。
では、そんな大人達の都合に振り回されながらも、大人達の都合通りにはさせず、彼らを手玉に取り、籠の中の自由を謳歌したドロレスは大人だったのでしょうか?
答えは、否です。
やはり、彼女も年相応の子供でした。
ただし、彼女は現役の子供としての強みを最大限に活かすことができた。
故に、この悲劇という籠の中でも、比較的自由に飛び回ることができ、唯一、ほんのわずかな時間とは言え、幸せになることができたのです。
彼女の青春は酷く歪められてしまいましたが、それでも彼女はそれに満足していたのでしょう。
まとめ【幼稚さが生んだ悲劇】
このように、本作は、三人の幼稚な大人と、一人の早熟な子供によって生まれた悲劇の物語です。
もしかしたら、三人の大人のうちの誰かが、真っ当な大人であれば、どこかで終わらせることができたかもしれません。
シャーロットが大人であれば、もっとちゃんとドロレスやハンバートに向き合い、冒頭の悲劇は防げたかもしれません。
ハンバートが大人であれば、三人もの人間の人生を捻じ曲げることはなかったかもしれません。
クレアが大人であれば、ハンバートを諭し、ドロレスとの関係を解消、あるいは真っ当な方向へと修正できたかもしれません。
しかし、そうはならなかった。
本来、子供を導く立場であるはずの大人たちは、その全員が幼稚だった。
それゆえに、全員の運命が悲劇的な方向へと向かって行ってしまった。
それが、『Lolita/ロリータ』という作品です。
そして、そんな運命の中でも、最大限上手く立ち回り、もっともマシな結末を掴み取ることに成功したドロレスの強かさ。
個人的には、やはり、それこそが魅力でした。