【食人族】映画の現代的アプローチ『グリーン・インフェルノ』
どうも、とりふぁです。
今日は『トレイン・ミッション』を観るか『グリーン・インフェルノ』を観るかで迷ったので、Twitterのアンケート機能でアンケートを募ってみました。
結果は、ほんの4票とはいえ、全部『グリーン・インフェルノ』という地獄絵図……(笑)
みんな、そんなにリーアム嫌いか?!(違
というか、そこまで私に地獄を観せたいのか!!?
と、いうわけで、今回は『グリーン・インフェルノ』のご紹介です。
※今回は、作品の性質上、エグイ表紙のDVDなどの画像もありますので、そういったものが苦手な方はご遠慮ください。
『グリーン・インフェルノ』のあらすじ
国連に勤める父を持つ大学生、ジャスティンは、ひょんなことから、意識高い系学生のアレハンドロ率いる抗議グループに属することになった。
彼らの今回の抗議活動は、アマゾンの熱帯雨林を伐採しようとする企業により、絶滅の危機に瀕している少数民族、ヤハ族を救うことだった。
かくして、現地に降り立った抗議グループのメンバー達。
しかし、そんな彼らに予想だにしない恐怖が待ち受けているとは、誰も考えてはいなかった——。
「匂いがする——友達が、調理されてる」
※今回貼らせてもらったのは、【R-18】版の予告編です。人食い描写がガッツリ映っているので、そういった描写が苦手な方やお子様には十分な注意と配慮をお願いします。
レビュー
イーライ・ロスが食人族を現代に蘇らせた
かつて、一部のマニアに熱狂的に人気のあったスプラッタ系映画のサブジャンルが、【食人族モノ】です。
その元祖は、イタリアの映画監督、グァルティエロ・ヤコペッティの『世界残酷物語』だと言われています。
ヤコペッティの作品は、ドキュメンタリーでありながら、多分に【やらせ】が仕込まれているという悪趣味性満載の作品で、モンド映画と呼ばれ、これまた一部に熱狂的なファンがいるジャンルでもあります。
そんなヤコペッティ作品の一作、『世界残酷物語』に、【かつて人肉食文化(カニバリズム)があった部族】というのが出てきます。
そして、それをさらに掘り下げた作品、ウンベルト・レンツィ監督の『怪奇!魔境の裸族』の登場により、【食人族モノ】というサブジャンルが生まれます。
そして、中でもおそらく最も有名だと思われる作品が、ルッジェロ・デオタード監督の『食人族』です。
VHS時代からレンタルビデオ店に通っていた方は、素っ裸の女性が串刺しにされているという、インパクト大なパッケージを一度は見たことがあるのではないでしょうか?
最初期のファウンド・フッテージ(※)映画としても知られる『食人族』は、日本でもそこそこヒットしました。
とはいえ、倫理的にもポリティカル・コレクトネス的にも色々と問題のある【食人族モノ】は、年代が進むとともに、映画業界から姿を消してしまいます。
しかし、2013年、残虐映画を得意とするイーライ・ロス監督が、突如として【食人族モノ】を復活させます。
それが本作、『グリーン・インフェルノ』なのです。
※ファウンド・フッテージ:偶然発見された映像という体をとった、フェイク・ドキュメンタリー(モキュメンタリー)形式の作品のことです。有名な作品としては、社会現象にもなった『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や、YouTubeを巧みに使ったプロモーション方法で話題をさらった『クローバー・フィールド/HAKAISHA』などがあります。
人が人を喰う。ゾンビとはまた違う怖さ
さて、そんな【食人族モノ】なんですが、実を言うと、個人的にはすごく苦手な部類に入るジャンルです(汗)
そんなわけで、偉そうなことを書いた割に、【食人族モノ】は、先月観た『トマホーク/ガンマンvs食人族』と本作くらいしか観たことがないんですよね……。
かなり強烈なゴアな描写満載の『ランボー/最後の戦場』は生涯ベスト級に好きな作品ですし、血みどろだったり、切り株描写だったりが苦手なわけではありません。
また、人が人を喰うと言う意味で言えば、【ゾンビモノ】は、寧ろ大好物だったりします。
しかし、【食人族モノ】はダメなんです。
なんて言うんでしょうね、ゾンビのように【理性なく本能のままに貪り喰う】のは平気なんですが、食人族のように、【なんらかのルールに基づいて、理性のもとにきちんと喰う】のは、すごく生理的嫌悪を感じるんです。
なので、本作でも、とあるシーンにおける【本能のままに貪り喰う】描写は割と平気でした。
ですが、とあるキャラクターが、【きちんと調理された上で喰われる】というシーンは、やはり「うげぇ……」とげんなりしてしまいましたね。
どっちもダメな人からすると、「人が人を喰うのは一緒じゃん! どっちもキモいわ!!」と思われるかもしれないんですが、この二つって、微妙ですが、個人的には決定的に違うんですよね。
どう言語化すべきかわからないのが歯痒いあたりなのですが(汗)
この感覚、分かっていただけます??
文化の違いによる非理解性
先程、【食人族モノ】はポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)的に問題があると書きましたが、では、本作もやはり問題があるのかという疑問が生ますよね。
これについて、私個人としては、本作はポリコレには割ときちんと配慮されていると思いました。
言うなれば、【食人族モノを、きちんと現代的解釈で描いている】と思うのです。
というのも、ネタバレを避けるため詳しくは省きますが、本作における食人描写と、そこから発展する文明人(こういう言い方は好きではないですが、便宜上そう呼ばせてもらいます)とヤハ族との対立は、【文化の高低差によるものという傲慢な描写】というよりも、【異文化と異文化が出会ったことによるすれ違い】のように描かれており、つまりは平等な視線で描かれていると感じたからなのです。
なぜなら、本作での食人族ことヤハ族の描かれ方は、しっかりと見てみれば、彼らなりのきちんとした文化やルールがあり、それ故に食人が行われているというように受け取れるように描かれているからなのです。
そのヒントは、冗長で、ある意味退屈にも感じられる、本作の前半部分にあります。
前半部分をしっかりと観て、その上で、なぜ喰われるハメになったのは彼らだったのか、そして、ジャスティンはなぜあの様な目に合うのかを考えていくと、そこには明確なルールを見つけることができると思います。
学生達は、異文化であるがゆえに、そこで展開される行為の残虐性だけに注目してしまい、その行為の意味を考えることをせず、その明確なルールを把握することができなかったために悲劇的な事態に陥ってしまったのです。
そして、ヤハ族側もヤハ族側で、異文化から来た学生達に自分達の文化を押し付けてしまったからこそ、ああいう事態になってしまうわけです。
つまり、本作の惨劇は、【文化の違いによる非理解性】が引き起こしたものなのです。
今、【食人族】を映画で描くとすれば、このアプローチは最適解だったのではないでしょうか?
さすが、イーライ・ロスと言ったところですね。
まとめ
ということで、『グリーン・インフェルノ』のご紹介でした。
ゴア描写としてはなかなかハイレベルですし、人が人を喰うという、どうにも嫌悪せざるを得ない描写も満載な本作。
明らかに人を選ぶ作品ではありますが、【食人族】をこういうアプローチで描いたという点で、なかなかに見所がある作品だと思いました。
個人的には、もう一度観ろと言われれば、ちょっと遠慮したい気もしますが、映画としては非常に面白い作品でした!
※今回ご紹介した『グリーン・インフェルノ』は、2019/12/5現在、アマゾンプライムビデオにて無料配信中です。
『MIHOシネマ』さんでも紹介されています↓