人を斬らぬ人斬りの物語、堂々完結!『るろうに剣心 最終章The Final』
どうも、とりふぁです。
個人的に、邦画の漫画原作作品、それも、少年漫画原作作品は、そのほぼ全てが失敗作……などと思っていた時期が私にもありました(笑)
しかし、ある時期を境にその状況は好転し、『バクマン。』や『アイアムアヒーロー』、『亜人』など、一転突破的ではあるものの、映画的にも全然アリ! な漫画原作作品も増えてきましたよね。
↑ちなみに、『アイアムアヒーロー』は、漫画原作というくくりなしに、ゾンビ映画として傑作だと思います。
そんな、「漫画原作作品もけっこうイケるじゃん」と思うようになった個人的なきっかけは、2012年の作品『るろうに剣心』でした。
原作を全巻持っていて、何度も読み返していて、なおかつ、映画好きである私をしても、実写版『るろうに剣心』は、なかなかに目を見張るクオリティの作品だったのです。
そんな実写版『るろうに剣心』シリーズの最終章二部作の第一作が公開されたということで、さっそく観てきました。
いつも通り、ネタバレは避けますが、原作における展開には触れる予定ですので、その点にはご留意頂ければと思います。
ではでは、いってみましょう!
『るろうに剣心 最終章 The Final』のあらすじ
幕末。
その類い稀なる剣の才と修羅の如き強さで幕府側の剣客を斬りに斬りまくり、新たな時代の礎を築いた伝説の人斬りがいた。
その名は、緋村抜刀斎、またの名を、緋村剣心。
数多くの屍の上に新たな時代を斬り開いた彼は、しかし、明治の夜明けとともに、殺人術としての剣術を封印し、自らに【不殺の誓い】を立て、流浪人(るろうに)として日本各地を渡り歩きながら、人々の生活を陰ながら守るように生きていた。
紆余曲折の果て、神谷活心流の道場に居候となった彼は、鵜堂刃衛による斬奸状事件や、志士雄真実による動乱をその剣で治め、束の間の平和な時を過ごしていた。
——しかし、運命は彼を逃しはしない。
人斬りとしての彼の罪、その最たるものが、明確な形と憎悪を持って、彼の眼前に現れようとしていたのだ——。
「抜刀斎の頬に、まだ十字傷はあるのか——?」
レビュー
剣戟少年漫画の名作『るろうに剣心』
本作の元となっているのは、和月伸宏先生が、1994年から1999年まで連載しており、現在も続編が刊行されている少年漫画『るろうに剣心』です。
あらすじにも書いた通り、明治維新直後の日本を舞台に、幕末に活躍した最強の人斬り、緋村剣心が、【逆刃刀】という、刃と峰が逆になった斬れない刀を振るい、殺さずに市井の人々を守るという物語でした。
↑我々の世代では、今なお語り継がれる伝説的作品です。
極めて少年漫画的な、必殺技が飛び交うバトルアクションが目を引きますが、その実、史実とフィクションを巧みに織り交ぜた空想歴史浪漫譚としても優れており、剣心を中心に展開していく、裏の歴史を紐解くかのような奥深い物語こそが真の魅力だと思います。
そして、そんな名作漫画『るろうに剣心』本編の最終章にあたる『人誅編』を叩き台に、実写映画用の改変や脚色を加えたものが、本作です。
ドニー・イェンも認めるアクションの匠、谷垣健治によるアクションが凄まじい
さて、そんな本作、というか、実写版『るろうに剣心』シリーズですが、本作を好むと好まざるとに関わらず、おそらく、一目見た誰もが認めるのは、そのアクションの速さとクオリティの高さでしょう。
というか、個人的には、アクションのクオリティの高さなしでは本シリーズの成功はあり得なかったとすら思っています。
というのも、正直、日常描写や、剣心やそのライバルとなるキャラクター以外の描写の仕方や演技は、正直、結構酷いと思うのです(^◇^;)
それこそ、そういう部分に関しては、いわゆる漫画の実写化と聞いて想像してしまうような、コスプレ学芸会みたいに見えるところも多々ありますし、そもそも、割と多くのキャラクターが、「え? そんな奴だったっけ……?」となるような改変が加えられていたりして、正直、キャラの再現度もどうかと思う奴はたくさんいます。
例えば、個人的には原作で最も好きな斎藤一も、「江口洋介ではないだろ」と思いますし(イメージ的には豊川悦司とかで観てみたかった……)、本作でも「あの野郎、ハメやがったな!」と毒づくシーンがありますが、原作における斎藤のイメージとはかけ離れた言動で「おいおい……」となりました……。
あるいは、剣心の相棒である相楽左之助も、実写版では陽気な単純バカでコメディリリーフみたいな描かれ方をしていますが、原作では、バカはバカでも、複雑な境遇ゆえに単純ではありませんし、確かに陽気な一面もありますが、全体的には、どちらかといえば仏頂面でクールなイメージです。
その他、前作にあたる伝説二部作でも、原作ではかなり重要な役割かつ、それぞれに個性の立った名敵役だらけの【十本刀】と呼ばれるキャラクター達が、揃いも揃ってただのモブと化していました。
そういった意味で、本作も多くの漫画実写化作品の例に漏れず、【誰も喜ばない作品】になっていてもおかしくはありませんでした。
しかし、そこを本作は、アクションの凄さという一点でもって、漫画実写化の難しさを正面突破しているのです。
というのも、本作は、【少年漫画的な必殺技バトル】を、【達人同士の超高速かつ超複雑なバトルアクション】と定義し直し、それまでの邦画ではあまり考えられなかった、上下左右に動き回る、派手で複雑、それでいて、目で追うことも困難なほどの超高速の戦いという、新規軸のチャンバラアクションを見事に提示してみせたのです。
それでいて、原作ファンであれば、「今の動きって、もしかして◯◯?!」と分かるような必殺技の動きや、原作でも印象深いアクションをきちんと織り交ぜているのです(本作でいえば、雪代縁の戰乱刀勢っぽい動きや、朝天刀勢っぽい動きなどが確認できましたし、倭刀を背中側にくるりと回すフェイントなんかも見られました)。
すなわち、そもそものアクションとしての質が異次元な上に、さらには原作ファンにも嬉しい必殺技の要素まで盛り込んでいるという、神業のようなアクションシーンが連発されるわけです。
それほどまでにクオリティの高いアクションが生み出されたのは、谷垣健治と、彼率いるアクションチームの才能と努力の賜物であることは間違いありません。
本シリーズ通してアクション監督を任された谷垣健治は、幼少の頃より香港のアクション映画に傾倒、大学卒業後には単身で香港へ飛び、何のツテもない状況から、着実に信頼とキャリアを積み、ついには、あのドニー・イェンに師事するまでになった(ドニー・イェン本人も、アクション監督を務めた釈由美子版『修羅雪姫』のインタビューで、谷垣健治が自分の後継者になってくれれば嬉しいという趣旨のことを語っていますし、今年公開の『燃えよデブゴン TOKYO MISSION』では、谷垣の監督作での主演を快諾しています)という人物で、いわば、未だ世界トップクラスのアクション映画を生み出し続けている香港アクション映画界、その最新のDNAを一身に受け継いだ人物なのです。
↑てか、『修羅雪姫』アマプラに入ってたのね……! 知らなんだ。久々に観てみよっかな?
そんな谷垣が監督したアクションシーンは、まさに世界レベル。
このアクションを観るだけでも、映画鑑賞代金分はもちろん、お釣りが返ってくるほどです(笑)
実写化の難しい『人誅編』
ということで、アクションシーンは文句なし、100点満点中120点と言える本作なのですが、じゃあ、ストーリーの方はどうかというと……はっきり言って退屈の一言でした(・_・;
しかしこれは、映画が悪いというより、原作そもそもが持つ問題点でもあるので、それはまぁ仕方のないことだと思います。
なぜなら、今回映画化された『人誅編』は、作者である和月伸宏先生自身が、単行本の中で、【ボロボロの精神状態の中、なんとか描き上げたストーリーで、正直、満足していない】というような趣旨のことを語っているくらいのストーリーで、原作からして既に結構しっちゃかめっちゃかなストーリーだからです。
ちなみに、原作では、人斬りとしての剣心に恨みを持つ者達が同盟を組み、【人誅】と称して【ある計画】を実行するというものなのですが、そこに集った復讐者達のほとんどが、逆恨みレベルの薄い関係性で、正直、剣心の仲間と戦うための数合わせ以上の存在になっていません(キャラ立ちとかは流石なんですけどね、縁と鯨波以外は因縁的に薄過ぎて……)。
その上、そこで実行される【ある計画】というのも、メタ的に言えば、少年漫画的ハッピーエンドへ持っていくための苦肉の策であり、作中でも色々と理由付けをしようと頑張ってはいますが、正直言って【トンデモ】以外の何物でもないんですよね(^◇^;)
それ故か、実写版では、その【ある計画】の部分はオミットされています(第一、映画でアレをやろうとすると色々と無理がありますし、出来たとして、アレの言い訳のために多くの時間を割くわけにもいかないでしょうし)。
しかし、そこを省いてしまうと、【人誅編】に残るのは、動機の薄い復讐者達の散発的な襲撃と、ただただ自らの罪に葛藤する剣心となってしまい、物語としての推進力は大幅に落ちてしまうわけで……しかも、アレがなくなったことにより、『人誅編』の要である、剣心廃人化からの復活というエモーションな流れもなくなってしまうわけで、「いや、結局、剣心はどうすることが真の贖罪なのよ?」という疑問ばかりが残る話になってしまっているのは否めません。
つまるところ、本作の物語は破綻しているというか、そもそも成立すらしてないと思います。
とはいえ、アレを回避しつつ、物語的推進力とエモーションを高め、一本の映画としてのプロットにする方法はあったはずだと個人的には思います(その方法については、まとめ後のおまけで語りますので、もし興味があればお読み下さい笑)
まとめ
ということで、『るろうに剣心 最終章 The Final』のご紹介でした。
最後の項でも書いた通り、正直、物語としては割と酷い出来だったと思います(なんと言っても人誅編の要を外しちゃってますからね……)。
しかし、それを補ってあまりあるクオリティのアクションは一見の価値ありですし、役者陣の演技、とりわけ、主人公である剣心を演じた佐藤健、そして、雪代縁を演じた新田真剣佑の演技には目を見張るものがあります。
特に、新田真剣佑演じる縁は、原作の空虚なダークさとはまた違う、憤怒のダークさをまとう、いいキャラクターになっていたと思いますし、完全に主役を喰っていたとすら思います(佐藤健の剣心はいつもながら完璧なのですが、新田真剣佑はさらにその上を行った感じ!)。
登場する度に画面全体を支配するあの演技的圧力は凄まじいですね。
他の引き合いはないのかよと言われそうですが、『ダークナイト』におけるヒース・レジャーのような、圧倒的な存在感です。
新田真剣佑、恐るべし。
というわけで、色々と言いたいことがなくはないのですが、しかし、原作ファンはもちろんのこと、アクション映画ファンなら必見の一作かなとは思いました。
次の『るろうに剣心 最終章 The Beginning』で描かれる『追憶編』は、一説には「時代劇の最高傑作」とも呼ばれる名エピソードですので、原作、そしてアニメ版の素晴らしさを実写でどう表現するのか、今から楽しみです!
※今回ご紹介した『るろうに剣心 最終章 The Final』は、2021/4/27現在、全国の劇場で上映中です。
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おまけ
こんな『るろうに剣心 最終章 The Final』が観たかった!
はい、ここからは完全妄想というか、原作コミックを持っている人なら「それやればよかったじゃああああん!」と思うような、私の思う理想の『るろうに剣心 最終章 The Final』について書いていこうと思います。
縁の物語
まず、結論から言えば、本作は、剣心の物語ではなく、縁の物語として描くべきだったかなと思います。
というのも、アレをやらない以上、本作において、物語的推進力や、エモーションのアップダウンを一番に持っているのは、他でもない縁だからです。
というか、もっと端的に言えば、作劇的な王道で言えば『人誅編』は、縁の物語なんですよね(復讐する者としての縁が、復讐される者としての抜刀斎=剣心を打ち破ろうとする物語)。
そんな視点に立って、個人的な理想の『人誅編』を書いてみます(ちなみに、私の個人的嗜好に基づいていますので、幾分ダークな展開になります汗)
とりふぁ的『るろうに剣心 最終章 The Final』
まずは冒頭。
ここは、るろ剣史上最もショッキングなシーンでもある、巴斬殺シーンから始めます。
そして、それを見ていた縁の瞳のアップで暗転し、タイトルが出る(一作目はともかく、それ以降の実写版『るろうに剣心』のタイトルがラストに出る演出は、そんなに意味がないかなと思っています。また、タイトルについても、The Beginningはワンオクとの文脈があるのでまだいいとして、The Finalはシンプルにダサいと思うので、普通に『るろうに剣心 人誅編』がいいと思います)。
そこから時を遡り、縁と巴がどのように暮らしていたのかや、巴と清里とのささやかな幸せの日々を丁寧に描く中、抜刀斎による清里殺害事件が起きる。そこからは、追憶編の内容を【縁視点で】描く。
そして冒頭のシーンを経て、原作では縁の一人語りとして描かれた、悪に身を落とし、泥水を啜りながら、抜刀斎への復讐心のみで上海裏社会を上り詰めていくシークエンスへ。
ただし、ここでマフィアのボスにはならず、あくまでも一介の殺し屋とする(単独の復讐鬼とするため)。
殺し屋として殺しの腕を磨きつつ、日本へ戻る機会を伺う縁であったが、ある日、自らの属する組織が志士雄へ売った鋼鉄艦が、抜刀斎によって沈められたことを知り、組織を抜け、単身京都へ。
京都で抜刀斎の情報を集めるうち、隠密御庭番衆へ行き着き、蒼紫に半死半生の傷を負わせるが、自らも右目を失う(蒼紫が倒れたことで、操は縁についての情報を集める。その過程で、操は巴の日記を手にすることに)。
その後、縁は抜刀斎の足取りを追うように東京へ向かう。
東京へとたどり着いた縁は、抜刀斎の現在の居場所を掴むため、警察署を襲撃。
左腕一本と引き換えに斎藤一を破り、駆け付けた剣客警官隊をも全滅させ、結果的に東京が無法地帯すれすれの状況と化す。
抜刀斎の居場所と、薫という女の存在を掴んだ縁は、神谷道場へ。
薫殺害のために神谷道場へ現れた縁を、左之助が迎撃するも、肋骨全面と引き換えに左之助を屠り、ついには薫までも絶命させる。
そこへ現れた剣心と弥彦であったが、時すでに遅し。
左之助を始めとする仲間達、そして何より薫までも守り切ることができなかったことを知った剣心は絶望し、廃人と化す。
縁は剣心に「生きて苦しめ」と言い残し、その場を去る。
こうして、ようやく復讐を果たした縁であったが、しかし、縁の中の巴はまだ笑いかけてはくれなかった。
その理由を、剣心が築いた明治の人々が生きているためと曲解した縁は、無法地帯と化した東京で無差別殺人を犯す。
そこへ立ち塞がる弥彦。
善戦するものの、やはり縁には敵わない。
弥彦が殺されてしまうことを案じた燕は、剣心に助力を乞う。
しかし、剣心は動かない。
そこへ、警官隊がいないことを利用しようとする悪漢達が現れ、燕を拐かそうとする。
泣き叫び、助けを乞う燕。
その燕の声に反応し、無意識に悪漢達を叩き伏せてしまう剣心。
「なぜだ……もう十分なはずなのに」
自問自答する剣心に応えたのは、巴の日記を携え、京都から現れた操だった。
剣心に巴の日記を叩きつける操。
「アンタは、人を斬った分だけ、いや、それ以上の人を守るって巴さんが認めた男なんだよ! 今動かないでどうするの?!」
操の言葉と巴の日記で、僅かながら活力を取り戻した剣心は、弥彦と東京の人々を守るため、そして、縁との私闘に純然たる決着をつけるため、町へと駆ける。
縁との私闘を制した剣心は、警察署へ連行されていく縁に巴の日記を手渡す。
巴の想いを知った縁は、獄中にて自らの罪に慟哭する。
一方の剣心は、薫の墓前に花を備え、薫に、そして巴に改めて「人々を守る」という誓いを立て、再び、るろうにとして旅立つのであった……。
完
おまけのまとめ
というわけで、私の思う理想的な『るろうに剣心 最終章 The Final』でした。
これ、原作ファンなら分かると思いますが、大筋は、コミックスのおまけページや、『るろうに剣心完全版』に収録された『剣心再筆』にて描かれた【ターミネーター縁】という、和月先生が【人誅編】を書いてから思いついたプロットを叩き台として、私なりのアレンジを加えたものです。
↑『るろうに剣心 完全版』です。正直、おまけである『剣心再筆』のためだけに欲しかったりします(笑)
個人的には、この【ターミネーター縁】のプロットをいつか見たいと思っていましたし、そして、もしこのプロットを活かすなら、今回の実写化を逃せば他に機会はないと思っていたので、是非とも中途半端に原作を模すより、こっちのプロットで実写化してほしかったなぁと思っていたりしたのです(笑)
ちなみに、剣心の仲間達に関しては、本当なら弥彦以外は全員絶命くらいでないと縁のヤバさが表現できないのですが、しかし、蒼紫が死んだ場合、操が暴走、あるいは廃人化してしまうので、巴の日記を剣心へ託すという大事な役割がなくなってしまいますし、斎藤が死んでしまうと、史実と齟齬が生まれてしまいますので、結果的に左之助のみ死亡という形になりました。
しかし、この展開であることで、現行の実写版よりは、操が巴の日記を手にする必然性が増したと思います(ちなみに、実写版では完全に偶然でしたが、原作だと、薫に頼まれた操が巴の日記を受け取りに行く展開であり、必然性があります)。
また、薫死亡に関してですが、少年漫画的にはなしでしょうが、映画としてのクオリティのためには、やはり薫は死ぬべきだと思うのです。
それがないと、剣心廃人化から贖罪の答えを見つけて復活するという、【人誅編】のメインテーマが描けませんからね……。
薫を殺さずにこのテーマを描くなら、結局は原作通りのアレになるでしょうし……。
そして、このプロットの根幹となる、縁を主役として置くというアイディアですが、これは、本作を観て思いついたものです。
というのも、とにかく本作で新田真剣佑が演じている縁が、本当にものすごくいいんですよね。
もう、全編縁が観たい!! ってくらいにいいので、こんなプロットを思いついてしまったのです(笑)
これが最適解かどうかは別として、現状の実写版のような、芯の薄いプロットよりはいいんじゃないかなぁと思ったり……。
それに、このプロットだと、『追憶編』を別作品とする作品的意味も生まれる(このプロットの場合、『人誅編』と『追憶編』が、同じ物語を別の視点から観るという構図になる上に、『人誅編』にて体中を破壊されながらも剣心へと迫っていく縁と、『追憶編』にて五感を破壊されながらも巴を救おうとする剣心とが重なるんですよ……!)ので、余計とこの方がよかったんじゃないかなぁと思うんですよね。
なあ誰か!! このプロットで作り直してくれんか!!!!(マテ