誰も観たことのない一本『スイス・アーミー・マン』
どうも、trifaです。
すごい映画を観てしまった……!
なんで今まで知らなかったんだろう……!!
軽い気持ちで観始めて、一気に、個人的生涯ベスト級作品にのぼりつめてしまった……!!!
そんな、『スイス・アーミー・マン』のご紹介です!!!!
なかなか強烈な個性のある作品なので、合う合わないはあるとは思いますが、とりあえず、観て損はありません。
なにせ、今まで絶対に観たことのない物語世界が展開しているのですから……。
それだけで、宇多丸さん(※)風に言うならば、五億点でしょう!!!!!
※宇多丸さんは、ラップグループ【RHYMESTER】のマイクロフォンNo.1にして、映画や音楽、本にアイドルなど、サブカル全般に造詣の深い方です。特に、映画に関しては評論家級の知識や考えをお持ちのため、私もよく、宇多丸さんの時評を参考にさせて頂いています。また、ラジオパーソナリティとしても活躍していて、現在はTBSラジオにて、月曜~金曜の夕方、6時〜9時までの帯番組『アフター6ジャンクション』および、木曜夜9時〜9時30分のゲーム番組『ライムスター宇多丸とマイゲームマイライフ』にてメインパーソナリティを務めていらっしゃいます。
『スイス・アーミー・マン』のあらすじ
無人島に漂着してしまった青年、ハンク。
救助を要請するメッセージを何度も何度も海へ流すものの、待てど暮らせど救助は来ない。
ついに彼は退屈と絶望に支配され、自ら命を絶とうと決心し、首を縄にかける。
しかしその時、どこからともなく、一体の水死体が彼の目の前に姿をあらわしたのだった。
これは、生きようとする男と、不思議な水死体との、友情と想像力の物語である——。
「普通、人の前ではオナラをしないんだよ」
※普段ならここに予告編を貼るところですが、本作は、そのビジュアルが大きな魅力の一つになるからこそ、今回は、予告編を貼らないでおきます。私は予告編を見てぶっ飛んだからこそ本作を観る気になったのですが、今思えば、予告編を見ない方が、よりぶっ飛べたと思うのです……それだけは、惜しいことをしてしまいました(汗)
レビュー
誰も見たことのないシーンが見れる
世界には、数多くの映画が存在します。
しかしながら、いえ、だからこそ、そのほとんどが、どこかで見たことのあるシーンや設定が、どこかしらでは出てきますし、なんなら、そんなシーンだけで構成された映画も珍しくはありません。
その点で、本作は非常に優れています。
なぜなら、今まで誰も思いつかなかった、というよりも、思いついたとしてもビジュアル化しなかったシーンが本作には数多く存在するからです。
本当は、そんなシーンの数々を挙げ連ねていきたいのですが、それは、これから観る方への楽しみを削ぐことになるかと思いますので、今回は割愛します。
とりあえず、これだけ覚えておいてください。
水死体が大活躍。
あとは、実際に観て確かめるのです!
生きるということ
本作は、最初から最後まで主人公の台詞で溢れています(だからといって、説明的というわけではありません)。
その中で語られているのは、素朴で下品ながら、【生きるということ】の本質です。
生き物が生きるということは、当然、様々な生理現象とセットです。
腹が減ればご飯を食べるし、ご飯を食べればウンコが出る。食べたものによっては、ゲップやオナラだって出るでしょう。
また、ある程度の年齢になれば、当然のこととして性欲が湧き、性行為や自慰行為を行うこともあるでしょう。
そして、最後には死に、朽ちて腐っていくのです。
それらは、生き物として、当たり前のことです(※)。
しかし知恵の実を食べた我々人間は、多くの場合、そうした【生き物として当然のこと】を、【恥ずべきもの】あるいは、【穢れ】として考え、イチジクの葉で覆い隠してしまうのです。
もちろん、文明においてそれは大切なことではあります。
しかしながら、だからといって、完全に覆い隠し、あたかも【無いもの】のように扱ってしまうことに、私個人としては違和感を感じ、時には、危険性すら感じてしまうのです。
生理現象は仕方のないものです。
人前でオナラやゲップをしてしまったりすることは、確かに、恥ずかしいと感じるかもしれません。
しかし、例えば、出てしまったことを【周りが笑う】のは、感覚として違うでしょう。
本人は、恥ずかしいということを十分に承知していて、でも【出てしまった】(もちろん、わざとやった場合はこの限りではありませんよ)。
それを最も恥じているのは、当然、本人です。それなのに、その上で笑うというのは、死人を蹴飛ばすようなものだと思うのです。
あるいは、性や死を子供から遠ざけること。
これも、学校教育をはじめとして、家庭や社会の中で、ごく当たり前のこととして行われていることです。
もちろん、通り一遍の性教育や、死についての物語などは学校でも行われます。
しかしながら、それらはあくまでも表面的なものに過ぎず、真の理解には遠く及ばないところで引き返されてしまいます。
あるいは、性については、下手をすると我々、男からは切り離されて教育されることもありますよね(今がどうかは分かりませんが、少なくとも、私の世代はそうでした)。
もちろん、性や死は非常にデリケートな話題で、細心の注意を払うべきものです。
でも、だからと言って子供から遠ざけてしまうというのは、話が違うでしょう。
その結果として、よく理解もしない、実感すらないまま【その時=あらゆる意味においての性や死との対面】をむかえてしまい、なすすべもなく悲劇に見舞われる、あるいは、さらにねじ曲がった思想を持ってしまうのです。
そうなる前に、適切な時期、適切な環境、適切な師、適切な手段を用いて、【きちんと教育する】こと。
もちろん、何が適切かなんて誰にも分からないですが、そんなもの、他のどの教科や知識にも当てはまることで、教育者側なら当然考えなければならないことでもあります。
それを放棄して、「これはこういうことになってますんで」とばかりに覆い隠してしまう。
そこにこそ、危険性があると私は考えているのです。
ちょっと脱線が過ぎましたが、本作のことに戻りますと、そういった性や死といった【穢れ】を、本作では、極めて純粋に、極めてフラットに描いているのです。
しかも、そのように描いた上で、【覆い隠す側=文明】の視点もきちんと入れ込んでいるあたり、非常に大人なバランスだと思います。
※自慰行為は人間だけだろうと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、最近の研究では、多くの動物が自慰行為や、同性での性行為を行うということが分かってきています。
創作と想像が生きる糧
本作において、主人公であるハンクは、無人島に漂着し、そこからの生還を目指していくことになるわけですが、本作はその道程を描くのがメインというわけではありません。
では、何がメインになるかと言うと、それは、ハンクがガラクタや自然物を利用して作るたくさんの創作物と、その創作物を用いて、様々な物事を想像するというシーンなのです。
そして、その創作物と想像力によって、ハンクは生きる希望を繋いでいくのです。
困難な状況と絶望的な退屈の中、生きる糧となるのは創作と想像の力なんだという、至極真っ当かつ、力強いメッセージを、私は本作から受け取りました。
そう、本作は、創作と想像こそ、人間を人間たらしめている、最も基本的な喜びであるということを思い出させてくれるのです。
そしてそれは、どんな状況においても、絶対に誰にも奪えず、また、奪ってはならない、最後の希望なのです。
その希望すらなくなった時、初めて人は本当の意味で死を意識してしまうのでしょう。
自然と音楽に溺れるエネルギッシュな多幸感
ここまで本作の魅力や私が受け取ったメッセージを思うがままに書いてきました。
その上で、本作が個人的生涯ベスト級の作品になった大きな要因は、美しく豊かな自然描写と、アカペラを基調とした音楽が織り成す、エネルギッシュで多幸感溢れるシーンが、ほぼ全編に渡って繰り広げられているという点です。
主人公がさまようことになる森は、ゴミだらけにも関わらずとにかく美しく、生命感に溢れているのです。
そして、本作を観た人なら全員が口ずさんでしまうであろう、印象的な音楽(しかも、音楽の入り方がまたすばらしい!)。
そこに、前述したような観たこともないシーンが重なると、言語化できない、わけの分からない多幸感が溢れ出します。
この感覚は、どんなに言葉を尽くそうとも説明できる気がしません。
とにかく、観てみてください!!
まとめ
ということで、『スイス・アーミー・マン』のご紹介でした。
本当に軽い気持ちで観始めた作品だったのですが、あっという間に引き込まれ、あれよあれよと生涯ベスト級になってしまいました。
個人的には、こういう体験こそ、映画を観る楽しみの究極的なものだと思います。
もちろん、誰も観たことのないシーンがあるということは、刺さる人には刺さる一方、嫌いな人には徹底的に嫌われる可能性もあると思います。
それに、本作は見方によっては、気持ちが悪く、陰惨な話だと受け取る方もいるでしょう。
それくらい極端な作品です。
しかしながら、いえ、だからこそ、映画好きなら一度は観て欲しい一本です。
良いか悪いかは別にして、唯一無二の映画体験をお約束しますよ!!
※本日ご紹介した『スイス・アーミー・マン』は、2019/11/20現在、アマゾンプライムで無料配信中です。