韓国社会とキリスト教を読み込んだ現代の寓話『7番房の奇跡』
どうも、とりふぁです!
実は、Twitterで仲良くしてもらってるフォロワーさんの中に、ちょこちょこ映画をおすすめしてくれる可愛らしい方がいるのです(*゚▽゚*)
今日は、そんなフォロワーさんから教わって「どれどれ」と観てみたら、なんかもう、自分でも久々にここまで泣いたなってレベルで涙腺崩壊された作品をご紹介します!!
本当、紹介してくれてありがとう!!
『7番房の奇跡』のあらすじ
6歳の少女、イェスンは、父親であるヨングとともに、慎ましくも幸せな生活を送っていた。
ヨングは、知的障害を持っていたが、非常に勤勉で、そして、何より、娘を深く深く愛し、娘からも同じように愛されていた。
しかし、ある日、そんな二人を悲劇が襲う。
ヨングが、少女を強姦した上で殺害した容疑で逮捕されてしまったのだ。
訳もわからず刑務所へと収監されたヨングは、そこの雑居房——7番房で、個性的な収監者達と出会う。
厳しく、退屈な房生活の中、彼が思うことはただ一つ。
イェスンと再びともに暮らすこと。
しかしそれは、思ったよりも早く、そして、思いもよらぬ形で、実現するのだった——。
「ごめんなさい、ごめんなさい、助けてください、お願いします、助けてください」
基本は牧歌的シチュエーションコメディ映画
本作は、そのあらすじや、起きた事件とは裏腹に、基本的には、非常に牧歌的なシチュエーションコメディとして進んでいきます。
それも、韓国ドラマ等でよく見る、日本で言えばドリフやバカ殿様の文脈で語られるような、昔懐かしい類の笑いが基本となっているので、非常に安心して笑える作り(笑)
韓国映画って、凄惨なゴアシーンや、緊迫感あふれるアクション、社会的なメッセージなど、極めて映画的レベルの高いことをサラッとやってのける一方、こういう、牧歌的で、ある種、泥臭いとも言える笑いもまたお得意とするところですよね。
本作も「くだらねー!」と思いつつ、思わずクスッとさせられてしまう笑いに満ち満ちています。
そんな中で、事件のシーンは非常生生しい作りになっていたりして、ここら辺のメリハリが、非常に上手く、気持ちいいですね。
ここら辺は、とても安心して観れる辺りです。
しかし、そうやって安心して観ていると、後半で一気にガツンとやられます。
ガツンの意味がだいぶ違いますが、このメリハリのバランスは、ある意味で本ブログで扱った、ポン・ジュノ監督作『殺人の追憶』にも通ずるものがあるかもしれません。
(そういえば、この度、『殺人の追憶』がアメリカで再上映されるみたいですね)
根底にあるのは、韓国の社会問題
そんは本作ですが、設定にはかなり無理があり、ご都合主義的な展開も目立ちます。
もっとも、そこを槍玉にあげてどうこういうタイプの作品ではありません。
基本、コメディですしね(笑)
しかし、その中で描かれているものは、非常に韓国らしさに溢れていました。
まずは、社会的弱者への目線の厳しさです。
これを韓国外部の人間である私が言うのはフェアではありませんが、正直なところ、韓国は、社会的弱者に優しい国とは言いにくいと思います。
例えば、本作で描かれるような、何らかの障害を持つ者が、道端で誰かにぶつかろうものなら、「そんななのに出歩くなよ!」というような、かなり厳しい罵声を浴びせられるというのもよくあることだと聞きますし、障害者のみならず、女性への差別もかなり辛辣です。
少し前には、【ノーキッズゾーン】と呼ばれる、子連れお断りの店が増えたという、子供や、子を持つ親への差別も問題になりました。
もちろん、日本もそうした人への差別意識はありますし、日本が社会的弱者に優しい国だとは言いません。
しかし、韓国の場合、【はっきりとものを言う】という国民性と合わさり、社会的弱者や被差別者に直接的な攻撃が及びやすい風潮があると思います。
日本が、真綿で首を絞めるようなジワジワとした差別なら、韓国は、ナイフで刺すような直接的な差別と言えばニュアンスが伝わるでしょうか?
それに加えて、『パラサイト/半地下の家族』で描かれたような格差社会も合わさり、庇護者のいない社会的弱者の生活は、かなり苦しいものがあるというのは、想像に難くありません。
そんな、韓国の差別や格差といった問題が、本作の根底には間違いなくあります。
軽いコメディタッチで描かれてはいますが、描かれていることは、決して軽くはありません。
キリスト教的解釈に溢れる現代の寓話
また、本作のもう一つの韓国らしさは、物語のあちこちに散らばる、キリスト教的要素や解釈です。
というのも、実は、韓国は、宗教分布的にはキリスト教信者が最も多い国なのです。
そのため、街のあちこちで教会や十字架を見かけることがありますし、お墓なんかもキリスト教風ですよね。
本作では、冒頭から、物語の語り手であるイェスンが、イエスと間違われるくだり(というか、このイェスンという名前は、まず間違いなくイエス・キリストから来ています)があったり、そもそもイェスンの母親の存在が最初から最後まで触れられないことも、父親のいない男性=イエス・キリストの逆と考えられなくもありません。
また、聖歌隊が物語を大きく動かす役割を果たしていたり、あるいは、ヨングの境遇そのものが、キリスト教的解釈における羊飼いのようにも思えます。
というのも、キリストが生きた時代の羊飼いは、文盲(=学がない)で、貧しく、そして、【裁判で証言する権利を持たない】存在だったわけです。
それでいて、キリスト教後の世界においては、キリストの誕生を告げられた者であるというのも、イェスン=イエスと考えると面白いところですね。
さらに、終盤にある裁判のシーンで証言をする者が、それぞれどういう立場の者かというのも、キリスト教的に見るとまた面白いです。
そして、ラストの展開では、羊飼いであるヨングが、さらにまた別のキリスト教的存在になるのですが、これはネタバレになるので、ご自身の目でお確かめ下さい。
家族愛の美しさ
とまあ、ちょっと難し気というか、深読みし過ぎかも? という私なりの解釈を書いてはみましたが、そんなものを抜きにして観ても、本作はもちろんとても心に残る作品です。
特に、ヨングからイェスンに対する愛、イェスンからヨングへの愛の美しさや尊さ、そして、その愛が迎える結末を観るだけでも、本作は本当に素晴らしく、そして、大大大号泣させられてしまいます。
もっとも、ただ感動のためだけにあの展開をやったのであれば、個人的には一番嫌いな部類の感動のさせ方なのですが、本作の場合は、前述したようなテーマや比喩が根底にあるため、あの展開も素直に受け入れることができ、そして、だからこそ、止めどなく溢れる涙を、崩れゆく表情を止めることができませんでした……。
ここまで泣いたのって、自分の披露宴以来かも……(笑)
まとめ
ということで、『7番房の奇跡』のご紹介でした!
フォロワーさんの薦めで、軽い気持ちで観始めた作品だったのですが、まさかまさかのクリティカルヒットでございました(笑)
自分に娘がいるというのも原因の一つかなぁとも思いますが、それ以上に、単純に映画として、演技、演出、脚本など、すべての要素を「ここ!」という一点へ感動をフォーカスすることが非常に上手いのだと思います。
途中にちょこちょこ挟まる脱獄モノやケイパーモノっぽいノリも最高ですし、ほんわか『プリズン・ブレイク』としても楽しめるかもしれません(笑)
しかしながら、その一方で、韓国の社会問題とキリスト教的解釈を盛り込んだ寓話だとして観ると、また新しい視点が得られる作品でもあると思います。
韓国映画、本当、全方面的に隙がないなぁ……!
教えてくれて、本当にありがとう!!
大切な一本になりました(*´∇`*)
※本日ご紹介した『7番房の奇跡』は、NETFLIXにて配信中です。